北京
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30年をかけて断崖絶壁で長さ7200メートルの水路を作り出す。黄大発さんは村民を率いて、実際の行動で確約を実現させ、地元村民の飲用水の問題や貧困脱却活動で突出した貢献をしました。七一勲章の受勲者である黄さんは、貴州省遵義市草王坝村党支部書記で、「現代愚公」とも呼ばれる人物です。
黄さんは新中国成立前に生まれ、孤児で、親戚や近所の人達の助けで成長しました。恩返しのために、彼は「大人になったら、必ずやふるさとのために何かをしなければならない」と決心しました。23歳の時に、黄さんは村の大隊長となり、1959年に中国共産党に加入しました。その後、2004年の定年退職まで、村の主任や党支部書記などを歴任しました。
草王坝村は典型的なカルスト地形で、雨が降ると、雨水が石の穴や隙間などに沿って、流れてしまい、溜めることがでません。そのため、以前村民たちは飲み水を汲むために、一番近いところでも、往復2時間歩かなければなりませんでした。また、地元では、水不足で乾燥に耐えられるトウモロコシしか栽培できず、村民たちは一年中、このトウモロコシを炒め、そして粉にして加工し、主食として食べていました。ところで、村から数キロ以上離れたところに、豊かな水源地があります。しかし、そこは山で遮断されていました。水や電気、道路も通じない村の様子を徹底的に変貌しようと思った黄さんは、村の幹部になった後、引水、道路敷設、電気を通すといったことを村の最優先事項として実施することを決めたのです。
1960年代、村民たちは政府の支持や黄さんの指導の下で、最初の大規模な引水工事を行いました。当時は技術などの原因で、10年かけても引水工事をなかなか完成させることができませんでした。そして、1989年、50歳を過ぎた黄さんは近くの水利ステーションで、働きながら水利知識を学んでいました。3年で、小学校卒業程度の学習能力だった黄さんはいろいろと工夫して、水利に関する知識をたくさんマスターしました。ところが、水源地から黄さんの村まで水を引くには、9ヵ所の断崖、10ヵ所の険しい山を通らなければなりません。単純計算によると、大体5、6万時間かかるということでした。村には労働人口がわずか200人しかありません。どのようにしてこの膨大な工事をやり遂げたのでしょうか?黄さんは「1年で完成できないなら、2年やる。2年でもだめだったら、3年続ける。命をかけてでもやり遂げる」と決意しました。そして、1992年、引水工事が始まり、当時57歳になった黄さんは200人余りの村民を率いて、工事現場へ向かいました。1994年、基幹水路が開通し、1995年になると、三つの山を跨ぐ総長9400メートルの水路が全線開通しました。村民たちはこの水路を黄さんの名前にちなんで命名しました。
引水工事が完成した後に、黄さんは村民を率いて、道路敷設や電気工事に着手しました。
今、草王坝村は「団結村」と改名されています。現在、村では薬草や有機農作物、果物を栽培しているほか、牛や豚などの飼育で、1000人の雇用問題を解決し、村民一人当たりの年収が1万元を超えるようになりました。こうして、村全体は2019年に貧困脱却の目標を実現しました。