北京
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山東省沂水県出身の魏徳友さんは、1983年6月に中国共産党に加入しました。魏さんは妻とともに、新疆ウイグル自治区に位置する国境線の無人区を守り、国境線で根を下ろして、国のために50年間ずっと見張り所の兵としての職責を果たしてきました。二人が勤務した期間中、渉外事件が一つも発生することはなく、夫妻は「交替のない夫妻による見張り所」と呼ばれました。50年間、魏さんの巡回総距離は20万キロを超え、生きた「境界標識」とも称されています。
1964年、24歳の魏さんは国の呼びかけに応じて、30名あまりの戦友とともに、北京軍区から新疆生産建設兵団へと転勤しました。その後、彼はふるさとから妻子を新疆に迎え、ここで家族とともに生活するようになりました。
新疆のサルブラク草原には面積50平方キロの無人区があります。魏さん夫妻はここで50年間、世間から切り離された生活を送り、一緒にいるのは100頭の羊だけでした。草原にはぽつんと彼らの家が1つあるだけで、部屋にある電気製品は照明だけで、そのための電気はやや離れたところにある太陽光発電所から送られてくるものでした。魏さん夫妻が食べる野菜は自分たちで栽培したもので、主食の米や小麦粉などは数十キロ離れたところから運ばれてきたものです。そして、飲み水は近くの井戸から汲み上げた塩水。魏さん夫妻が最初の20年で住んでいたのは、土で作られた部屋でしたが、その後、地元の兵士たちの協力の下、レンガ造りの家が建てられました。
辺境地区の哨兵として、魏さんは毎朝、日課である国旗掲揚を行っています。そこには国歌の演奏はなく、観客も一人もいません。それにもかかわらず、魏さんは毎日、真面目に真剣に国旗の掲揚式を行います。そのあと、魏さんは奥さんが作ってくれたマントウを持ち、古い軍用水筒、ラジオ、そして、30年以上使い慣れた軍用望遠鏡を携帯して、巡回に出かけます。三つのチャンネルしか聞けないラジオは、魏さんにとって、充実した時間を過ごせる忠実なパートナーです。この50年の間に、50台のラジオを使ってきました。魏さんは国境線の様子を確認するために、毎日10時間以上、累計して10キロ余りの距離を歩きます。特に、毎年の春と秋の季節になると、牧場の転換で、魏さんの巡回地域の近くには33ヵ所の放牧拠点が現れます。そのため、こうした牧畜民やおよそ一万頭の羊などが国境を超えないように、気を引き締めて巡回しなければなりません。
現在は二人の娘が魏さん夫婦のそばに戻り、両親の世話をしながら、国境線を守る巡回の職責を受け継いでいます。