北京
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中国共産党第6期中央委員会第6回全体会議は、抗日戦争以降の闘争の経験を総括し、抗日戦争の前期において王明が犯した右翼投降主義を是正し、民族戦争における共産党の立ち位置を明確にして、抗日戦争の勝利を獲得するために開かれた会議です。
1937年11月、王明はソ連から帰国し、中国共産党中央長江局の書記を務めていました。担当は、長江中流と下流地域の革命活動でした。同年12月、王明は党中央政治局の会議において、中国共産党コミンテルン駐在代表という立場で、「いかにして全国的な抗日戦争を継続させ、また勝利を勝ち取るか」と題する報告を行いました。抗日戦争における国民党との連携を堅持していくことについて正論を述べましたが、抗日民族統一戦線をいかに強固にし、さらに拡大させていくかという面では、右翼投降主義的な主張をしました。彼は、抗日戦争において中国共産党と国民党の間に存在する原則的な相違を無視し、共産党が指導するゲリラ戦の役割を見下し、国民党軍隊に頼って戦争に勝利しようと妄想したのでした。彼はまた、すべて統一戦線に従うべきだと強調し、統一戦線におけるプロレタリア階級の指導権を放棄しました。
1938年9月29日から11月6日にかけて、中国共産党第6期中央委員会第6回全体会議は延安の橋児溝で開かれました。会議には中央委員や全国各地区の指導幹部、計55人が参加しました。これは今までの会議で参加人数が最も多い党大会となりました。
この会議で、毛沢東は中央政治局を代表して「新段階を論じる」という政治報告を行い、「中国におけるマルクス主義の具体化」という観点を提唱しました。そして、毛沢東をはじめとする中央政治局の路線が採択され、王明が抗日戦争初期に犯した右翼の誤りを是正し、党全体の思想を統一させ、政治上、思想上、組織上での共産党の指導基盤が固められたのでした。
この中国共産党第6期中央委員会第6回全体会議では、「マルクス主義の中国化」という観点が初めて提出されました。また、抗日戦争の情勢について詳細に分析され、対峙段階の党の任務が定められていき、抗日戦争において共産党が指導的立ち位置を実現する上での全面的な企画が打ち立てられました。この会議によって、王明が犯した右翼錯誤は基本的に克服され、「中国共産党は独立自主に基づいて人民を率い、抗日戦争を展開していく」ということが改めて強調されました。会議ではさらに、マルクス・レーニン主義を中国の革命の実践と結び付ける原則が決定し、党における毛沢東の指導的地位が認められました。そのため、この会議は中国共産党史上、重要な歴史的意義を持つ会議だと考えられています。