抗日民族統一戦線の政策が打ち出された「瓦窰堡会議」

2021-04-09 14:22  CRI

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 9・18事変後、1935年の夏、日本帝国主義は華北5省を占領しようとすることが直接の目的で、華北への侵略を急ぎ、中国民は抗日民主運動のブームを引き起こしました。この時、中国共産党は土地革命戦争から民族革命戦争へと転換する大きな転換期を迎えるようになりました。1935年12月25日、中国共産党中央は陝西省北部に位置する瓦窰堡で中央政治局会議を開きました。この会議で、「軍事戦略問題に関する中央の決議」や「当面の政治情勢と党の任務に関する決議」などが採択されました。27日に、毛沢東は会議の精神に基づいて、党の活動者会議で「日本帝国主義の反対策を論じる」という報告を行いました。この時の会議で可決された政治情勢に関する決議および毛沢東が行った報告によって、党の政治路線問題が円滑に解決されました。

 「当面の政治情勢と党の任務に関する決議」は、「党の戦略路線は全民族の力を動員させ、当面の主要な敵である日本帝国主義および蒋介石に反対することである」と指摘し、また、「閉鎖主義は党内の主要な危険要因である」と強調しました。また、広範な抗日統一戦線を築き上げるために、決議では「工農共和国」のスローガンが「人民共和国」へと改められ、それと同時に、抗日にふさわしくない一部の政策を変えることにしました。

 また、毛沢東は報告で、抗日という条件のもとで、民族ブルジョア階級とあらたに統一戦線をうちたてる可能性と重要性を十分に説明しました。その中で、毛沢東は「民族危機という背景下で、国民党の内部でも分裂するだろう。つまり、日本帝国主義が中国内部に侵入したことによって、中国各階層間の関係に変化が生じている。ひとことで言えば、民族革命の勢力が増大しつつある。そのため、党の基本策略および任務は広範な民族革命統一戦線を築き上げることだ」と指摘しました。

 瓦窰堡会議は極めて重要な会議で、遵義会議の継続と発展でもあります。会議では、抗日民族統一戦線という政策が打ち出されました。この統一戦線のなかで、共産党と紅軍が決定的意義をもつ指導的役割を果たすことや中国革命の長期性を指摘し、それまで長いあいだ党内に存在していたせまい閉鎖主義と革命に対するせっかち病――これらは第二次国内革命戦争の時期に党と紅軍が重大な挫折をこうむった基本的原因である――を批判しました。同時に、毛沢東は、一九二七年に陳独秀の右翼日和見主義が革命を失敗に導いた歴史的教訓について党内の注意をよびおこし、蒋介石が革命勢力を破壊するのは必至であると指摘しました。これは中国共産党が革命の成功経験および失敗の教訓を総括した上で成長し続け、中国の実情に基づいて、生産的思考で活動を展開できるようになったことを物語っています。

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