第十六课:这件衣服多少钱?
第十六課:この服はおいくらですか。
唐装(チャイナスーツ)
“唐装”(táng zhuāng)、つまりチャイナスーツの名称は、海外に由来します。
繁栄を極めた唐王朝は、各国の人々に広く知られました。そのため、外国人は中国人を“唐人”と呼ぶようになりました。アメリカ、東南アジア、ヨーロッパの中国系住民の居住地区は“唐人街”と呼ばれています。華僑も“唐人”を自称しています。昔から唐代は中国人がを誇りとする時代だったのです。唐人街に住む唐人の中国伝統風格の服装は“唐装”・チャイナスーツと称されますが、実際には清代末期の中国式服装なのです。
“唐装”は清代の“馬褂”(mǎ guà,長い着物の上に着る腰までの短い上着)から変化したもので、それには四つの特徴があります。第1は詰襟で、上着の前を真中で合わせるようにして、襟を立てて詰襟にしていることです。第2は袖の付け方で、袖と肩の部分に継ぎ目がなく、平面的な裁断にしていることです。第3は襟の合わせ方で、襟の端を真直ぐあるいは斜めに立てて向かい合わせていることです。第4は釦と釦穴で、紐で編んだ釦と釦孔の二つの部分で構成されていることです。このほか、材料の生地は主に絹織物が使われています。そして、色彩は煌びやかな赤・茜・朱・藍が多く、時には萌黄・緑・黒なども用いられます。
旗袍
“旗袍”(qí páo)、つまりチャイナドレスは、清朝時代の八旗女性の服装から変化したもので、民族大融合によって形成された特有の服装形式であり、中国服装の国粋だと言えます。“旗袍”は、花鳥・絵画・刺繍などの文化内容が含まれており、各種芸術が結びついた産物だと言えます。
“旗袍”は、中国式の長い服が由来です。しかし、清朝時代になると字面の解釈が行われ、旗人(男女を含む)の長い服を指すようになりました。ところが実際には、八旗女性の普段着の長い服だけが、現在の“旗袍”と密接な関係があるのです。漢族女性が満族女性の服装を模倣し、満族女性も漢族女性の服装を模倣するようになり、漢族女性と満族女性の服装風格が次第に融合し、その区別が縮小され、“旗袍”が流行するようになりました。その後、西洋の服装が中国で普及し、“旗袍”が洋服の特徴に融合し、簡潔化かつ平民化の方向に発展し、新しい様式の“旗袍”・チャイナドレスが生まれたのです。
今日の“旗袍”は、すでにファッション化されていますが、色彩は依然として伝統を維持し、赤・青・藍、それに赤と黒の組み合わせが流行しています。現在の“旗袍”は、短めの様式と長めの様式に分けられ、春・夏・秋・冬によってそれぞれ異なる生地が利用されます。