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徐志摩ー詩人

2010-03-03 10:23:26     cri    
 徐志摩(1897ー1931)浙江省海寧の裕福な商人の家に生まれ、「新月派」の詩人として36年の短い人生で多くの詩を残し、現代詩壇に大きな影響を及ぼしました。

 1915年、杭州一中卒業。中学を卒業した徐志摩は、父から16歳の張幼儀との結婚を命じられました。それは完全な政略結婚でした。父、徐申如はそのとき、すでに上海・杭州一帯の金融界と実業界に影響力をもっており、相手の実家の兄二人は政界と金融界の大物だったのです。結婚してまもなく、徐志摩は上海と北京に遊学に行き、天津北洋大学などを経て、1916年北京大学に転入します。

 1918年渡米、クラーク大学で歴史学と銀行学を、そしてコロンビア大学で政治学を学びました。1920年9月に、コロンビア大学修士号を取得した後、イギリスに行き、ロンドン大学で政治経済を学び、そこで一人の若い女性、林徽音に出会いました。この17歳の少女は元北洋政府の司法総長・林長民の娘で 、その清楚な美しさと感受性豊かな心に、徐志摩はたちまち夢中になってしまいました。

 1921年から、彼は英国の唯美派詩人を模倣して、詩歌の創作を始めました。彼の詩には芸術至上主義の傾向があるとされます。1922年秋に帰国後、北京大学、清華大学、平民大学教授を歴任し、1923年文学団体「新月社」を結成。発起人となりました。1924年、インドの詩人タゴールとともにヨーロッパへ。1925年第一詩集『志摩の詩』を発表しました。社会の底辺に生きる人々への関心と同情にあふれたもので、理想、愛情、自由を称えています。

 1927年上海光華大学、大夏大学及び南京中央大学で教鞭を執り、同年、胡適、梁実秋らと新月書店を創設、月刊『新月』の編集長となりました。(これが「新月派」という名称の由来)主なメンバーは胡適、徐志摩、梁実秋、陳源であり、その多くは『現代評論』派のメンバーでもありました。政治的には公然と共産党に反対し、革命に反対したとされています。文学的には、ブルジョア的人間性論をたたえ、プロレタリア革命文学を批判しました。

 1931年、南京から北平(今の北京)へ向う途中、飛行機事故で亡くなりました。36歳でした。

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