12月1日、初冬を迎えたばかりの徐州に寒波が訪れ、街はマイナス5度の寒さに包まれました。漢文化の古城・徐州でまず私たちが訪れたのは、「徐州博物館」。徐州の歴史を探ることができる窓口です。
「徐州博物館」は市内にある雲龍山の北側に位置し、1757年に乾隆帝が南へ訪れた時に経由した行宮に基づいて、1959年に博物館として建てられたものです。
徐州は「兵家の争う場所」と言われ、漢の時代は戦争が多かったため、他の博物館に比べ、たくさんの兵器や殉葬品がここに陳列されています。矢が刺さったままの骨、錆びついた剣、当時使われた爆弾・・・かつてここで起きた戦いのシーンを容易に想像できるほど当時の様子を感じることができます。
矢にささったままの骨
錆びついた剣
当時使われている爆弾
また、殉葬品のコーナーでは漢の文化の特徴の一つである玉器が展示されています。博物館の杜主任によりますと、当時は貴族以外の庶民が勝手に玉を持つことは禁じられていて、貴族を埋葬した墓の財宝が盗まれても玉器だけは必ず残されていたそうです。殉葬品になった玉器が、ある意味で漢代の貴族と庶民の間の階級の違いを強調しているのです。玉の扱いが特殊だったのは、すべての玉が新疆からシルクロードを通じて徐州へ運ばれてきたもので、大変貴重なものだったからです。玉は漢の時代に最も高い身分や社会地位を象徴するものでした。
龍の形した玉器
当時の王が亡くなったときには、玉で作られた金縷(きんる)の玉衣に包まれて棺へ納められました。現地の史料によりますと、徐州博物館に収蔵されている「金縷の玉衣」は1994~1995年に徐州の獅子山にある「楚王の墓」から出土したもので、全国で最も質の良い「金縷の玉衣」だそうです。玉の数が一番多く、2000年以上の歴史を持ち、漢の文化をたっぷりと感じることができる逸品です。
金縷の玉衣
そして、博物館の裏に出ると、1969年に発見された「土山東漢彭城王の墓」が目に入ります。まだ発掘が続けられている王の墓は実際のデータは今でも計算できていませんが、とにかくそのスケールに誰もが驚くことでしょう。
土山東漢彭城王の墓
墓の中
墓の中
古人たちは素晴らしい歴史を残しただけでなく、人類としての知恵、また強く生きようとする姿勢も見せてくれました。2000年以上の歴史がある漢文化がまるで時空を超えて目の前に甦ったかのようでした。
徐州は歴史文化だけではありません。これからさらなる徐州の魅力に迫ります!(トントン)暮らし・経済へ
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