朝鮮の核問題をめぐる第三ラウンドの6ヶ国協議は2004年6月23日から北京の釣魚台国賓館で行われました。国際社会はこれを非常に注目しました。
朝鮮の核問題は1990年代の初めから始まったものです。当時、アメリカは衛星写真を根拠として、朝鮮に核兵器を研究・開発する設備があるとの疑いを示すと共に、これらの設備に対して検査を行うと言いふらしました。これに対して、朝鮮側は核兵器を作る計画と能力がないと再三強調すると同時に、アメリカが韓国で核兵器を配置し、朝鮮の安全を脅かしていると非難しました。
2002年10月から、朝鮮の核問題が再び浮上し、朝鮮半島と東北アジア地域の平和と安定に深刻な影響を及ぼしました。この問題の平和解決に向けて、中国政府は2003年の初めから、関係諸国と立場を協調し、多方面にわたって斡旋した結果、最終的に中国、朝鮮、アメリカ、韓国、ロシアと日本の6ヶ国が政治的ルートを通じて朝鮮の核問題を解決することで協議すると合意しました。
2003年8月27日から29日まで、第一回6ヶ国協議が北京の釣魚台国賓館で行われました。この会談では、各方面はそれぞれの原則的立場と問題の解決構想を真剣かつ全面的に述べ、話し合いを通じて平和的に朝鮮核問題を解決するとの政治的願いを表明しました。
そして、2004年の2月25日から28日まで、第二回6ヶ国協議が北京の釣魚台国賓館で行われました。この会談では実質的な問題をめぐって討議が進み、歩調を合わせて問題を解決する形が明らかにされ、平和会談プロセスが開始して以来の初めての文書を発表し、第三回協議の場所と時間を決め、作業部会を開き、会談のメカニズム化を推進することで合意するなどの進展を遂げました。
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