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左権
   2005-07-12 11:47:27    cri

 左権は、中国労農赤軍と八路軍の高級指揮官で、有名な軍事家である。1905年、湖南省醴陵県に生まれた。1924年黄埔士官学校の第1期学習に参加した。1925年2月中国共産党に入党した。1925年12月旧ソ連に赴き、相次いでモスクワ中山大学、(伏竜芝)軍事学院で学習した。1930年帰国した後、中央ソビエト地区で仕事をし、相次いで、中国労農赤軍学校第1分校の教育長、新12軍の司令官、第5兵団第15軍の司令官兼政治委員、中央革命軍事委員会第1局局長、赤軍第1兵団の参謀長などの職務を歴任し、中央ソビエト地区の敵『包囲殲滅』に対抗する作戦と長征に参加した。1936年赤軍第1兵団の司令官代理となった。抗日戦争勃発後、八路軍の副参謀長、八路軍前線本部の参謀長兼八路軍第2縦隊司令官を担当した。朱徳総司令官らと協力し、八道路軍を指揮して華北抗日戦争の前線に赴き、敵の後方でゲリラ戦を展開し、日本侵略軍の数度にも亘る『掃討作戦』を粉砕した。1940年秋、左権は彭徳懷指導者と協力して、100の連隊が参加した有名な作戦を指揮した。1941年11月、八路軍本部の特別任務担当連隊を指揮して、黄崖洞防御戦を行い、8日間の亘る激しい戦闘を経て、1000人あまりの敵を殲滅した。左権は、理論修養がに秀れており、実践の経験を持つ軍事家で、1939年から1941年まで、『華北抗日戦争堅持論』、『待ち伏せ戦術』、『襲撃戦術』、『戦術問題』、『軍事思想の原理論』など書物を書いた。左権は、華北抗日根拠地を創立し これを強固なものにするため、また、人民の抗日武装勢力を発展させ、八路軍を全面的に建設するために不朽の功績を建てた。1942年5月日本侵略軍は太行山抗日根拠地に対して包囲や掃討作戦を行った。1942年5月25日左権は、山西省遼県麻田付近で部隊を指揮し、中国共産党中央北方局と八路軍本部などの部隊が包囲から突破し移転することを掩護する時、十字嶺での戦闘で犠牲になった。享年37歳。

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