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私が思う中日相互理解貴州大学 樊偉

2017-10-11 16:50:52     cri    

 中日の相互理解は永遠に不可能と、子供の頃から周りの人々に散々言われてきて、日本のことをほとんど何も知らなかった私は、それをただの事実として受け入れ、疑わずに信じていました。しかし、そんなかたくなな思い込みでも、案外簡単に覆されるかもしれません。

 それは、随分と昔のことです。ドラえもんの放送をしていたテレビから出てくる聞いたこともない言語が、子供だった私にはとても新鮮で、不思議な響きでした。画面の中の眼鏡をかけたダメな男の子と、彼をいつも支えてくれた丸い手と頭をした青いロボットが言っていることはわからなかったが、あの万能なポケットからなんでも出てくるシーンは、私を強く惹きつけました。こんなすごいロボットを作れる国って、一体何なんだろうと、そんな疑問を抱いた私は知らない間に成長し、日本のことをもっと知りたりという思いの種も、心の中にこっそりと宿りました。

 そして、その種が芽吹き、大きな木となったのは、私が高校に入って、日本語の勉強を始めたからです。日本語を勉強すればするほど、この言語を生み出した日本という国は一体どんな国なのか、ますます気になってきました。マスコミやテレビニュースからじゃなく、私は自分の目で、等身大の日本を確かめてみたいと思いました。

 「日本旅行?まあ、いいじゃない。ちょうど休み取れるから」と自分の提案に同意してくれた母の言葉に、私は歓喜雀躍でした。なぜなら、うちの家族はどっちかというと日本のことが嫌いの方だからです。日本へ一度、同行してもらえば、そんな状況も変わるかもしれないという私の発想で、今年七月母と日本で十日間旅行をしました。

 「おお、あんちゃんは中国人?日本語うまいね!ええやないか、日本をもっと楽しんでな!」という大阪で会ったおじさんの言葉が、すごく印象に残りました。ぎこちない標準語で道を聞く外国人の私を相手に、嫌いという様子が全くなく、親切に道を教えてくれました。おかげで「へえ、大阪人も噂のように荒っぽいわけでもないじゃない」私はホッとして、安心して日本人と話せるようになりました。できれば、あのおじさんに「おおきに!」とちゃんとお礼を言いたかったです。

 その他にも、日本人の先生や日本人の知り合いの方に、日本料理をご馳走してもらったり、あちこち道案内してもらったり、知る人ぞ知る秘密のところまで案内してもらいました。特に、伊藤さんという方には車に乗せてもらい、一日かけて富士山を一周させてもらいました。そんな親切に接してくれたことに、母はとても感動したらしく、帰国しても家族や友達に飽きもせずその経験をアピールしています。「夏は富士山がよく見えないから、また今度冬に日本へ来てよ」と別れる時の日本人の先生の誘いに、母は「はい、ぜひ」と即答しました。

 おかしいことに、最初は日本が嫌いと思う中国人は日本から戻ってくると大抵日本のことが好きになる、少なくとも嫌いではなくなると、中国では不思議な話になっているようですが、母のことを思うと、さほど不可解なことでもないかもしれません。例え不本意でも、興味はなくても、一度ある国の本当の姿を見せられたら、人はそれを受け入れざるを得ません。もちろん全ていいこととは限りません、時には悪い現実とも向き合わなければいけません。しかし、理想を実現したいのならば、まずは醜い現実を愛せとも言われています。

 知り合いの薄木さんとお好み焼き屋で食事をした時、テレビから中国についてのニュースが放送されていました、偏った部分を見ると「それは違います」と私が言おうとする以前に「あれ嘘や、俺は中国に行ったことあるから騙されんで!」と薄木さんがつぶやきました。その瞬間、私は思いました、「中日相互理解の日も、意外とそんなに遠くないかもしれない」と。

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