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「米と私の家族」 唐晩閣 北京第二外国語大学

2016-10-14 13:46:23     cri    

 考古学の成果によると、中国では 9000 年ほど前に、現在の浙江省の地域に住む人々は水稲を見つけたそうです。米は、水稲から収穫できるものです。中国では、主に南方の人たちが今でもお米を主食にしています。私のふるさとは湖南省で、祖父と祖母は農民ですから、私の家族はお米と、とても縁が深いです。

 私が幼いとき、父はときに私が生まれる前の、彼の経験について私に話してくれました。以下に述べるお話の中に、お米についてのがあります。それは父が中学二年生の夏のことです。私の祖母、つまり、父の母は、当時、子を身ごもっており、毎日辛いつわりに苦しんでいました。その時、祖父と祖母は水稲を植えることができず、家の畑には桃しかありませんでした。更に、お金もなく、日々のご飯を食べることが深刻な問題になりました。家の窮乏を何とかするため、身重の祖母は祖父と一緒に、桃を売りに出かけていきました。ある日、雨がザーザーと振っていましたが、祖母は重たいしょいこを背中に背負って長

 い道のりを歩きました。疲れても、止まることなく、ひたすら歩き続けたそうです。悪天候のために、道にはあまり人がいなかったので、祖母は村人たちの家へ行き、一軒一軒のドアをたたいて回りました。「新鮮でおいしい桃はいかがですか。」と聞いて歩きました。しかし、「いいえ、結構です。」と、要らないという答えがほとんどでした。でも祖母は断念せずに、次の家、また次の家へと行って、桃はいらないかと聞いたそうです。雨で山道が滑り、本当に危なかったそうです。祖母はこのように一日中桃を売っていました。そして、なんとかお金を得ることができました。祖父と祖母はすぐにお米を買って家へ帰ったそうです。それは、子供、つまり、私の父が待っていたからです。祖母の憔悴した顔を見て、祖母が作ったご飯を食べたときに、父は目から涙が溢れたそうです。

 二年後、父は高校に入りました。当時、学校では食糧配給切符を使ってご飯を買うことになっていましたが、父のこずかいは足りず、ご飯を食べられない日が続いたそうです。ある日、父は祖母に電話し、「母さん、腹が減ったよ。」と言ったところ、翌日、驚いたことに祖母が学校へ来て、家の米を食堂の料理人に渡して、「このお米を配給切符にしてくださいませんか。」と頼み込んだのです。父はもちろんですが、学校の先生や料理人たちも、皆、胸を打たれたそうです。父は「あの日から、私は、一粒の米も無駄にしていないんだ。」と言います。

 しかし、そんなことは私たちにとって古すぎます。時が経て、私と同年代の若者たちは、ご飯を無駄にすることが多いです。たぶん「お米なんてたくさんあるし、ちょっとくらい無駄にしてもいいだろう。」という考えを持っています。とは言うものの、こんな考え方は違うと思います。

 恥ずかしい過去ですが、私は小さいとき、ご飯を無駄にしていました。毎日おかずだけを食べて、ご飯をトイレに捨てていました。そして、「お父さん、ご飯を食べきったよ。」と、嘘をついていました。でもある日、ご飯を捨てているのを父さんに見られました。「どうしてご飯を粗末にしているの?」と私に問いました。私は「多すぎて食べられないの……。」と答えました。父は私を「食べられないなら、前もって言いなさい。嘘をつくのはいけないことなんだ。」と叱り、そして、その日、父は祖父祖母の話や、同じように農民が辛い生活を過ごしていることなど、いろいろと話してくれました。私は自分がしたことを深く恥じました。

不思議なことに、その後、私はご飯を大好きになりました。今でもそうで、友達は私のことを「お米のお姫様」と呼びます。今では時代が変わり、技術も進み、お米はそれほど貴重ではなくなりましたが、お米の大切さは変わりません。でも、お米は大切なんだという意識を持つことで、ご飯はもっと美味しくなるんです。

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