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「米の匂いと家族への思い」 趙瑜佳 中央財経大学

2016-10-14 13:39:44     cri    

 私は電気炊飯器で作ったご飯より、かまどで煮たご飯のほうが好きだ。なぜならば、そのご飯にはおじいさんの匂いがするからだった。

 私は 5 歳からおじいさんとおばあさんと一緒に暮らしていた。おじいさんの家は古いので、炊飯器などの電気商品どころか、コンセントもぜんぜん見えなかった。ご飯を作るのは、ただかまどでしかなかった。周りは土や石、セメントなどで固めて、大きな鍋をかけて、下から柴で火を焚いて煮ていた。毎日、小学校の授業が終わって、家に帰る時、遠いところから、煙突の中からぷうぷうと煙を吹いていたことが見えた。それを見ると、ワクワクして早く家に帰りたかった。

 早くご飯を炊くために、おじさんはいつもそばに小さい送風機を取り付けて、火を強くしていた。こうしてご飯を作る時間もずいぶん短縮させることができた。しかし、年をとったので、おじいさんは匂いを嗅ぐ力がだんだん鈍くなってきたようで、時々焦げたご飯を作るようになった。その時、私は「おじいさん、黒いご飯は食べたくないよ」と冗談めいたことを言った。おじいさんは「やれやれ、もう焦がしたのかい」と言いながら、送風機を止めてやった。おじいさんは毎回鍋の中に炊いている一番煮加減のいいご飯を私にくれていた。自分は鍋の底に残ってある焦げたご飯を食べていた。食べきれなかった時には、翌日の朝ご飯にするしかなかった。健康には悪いと分かっていても、おじいさんはとても節約な人で、捨てることは一度もなかった。

 小さい頃の私の記憶では、おじいさんはずっと質素に暮らしていた。ご飯を食べる時、おじいさんはいつも一番早く食べ終わった。でも、彼はいつもそばで待って、私が食べ残したご飯をぜんぶ食べ切れた。少し大きくなったら、私もおじいさんのように、茶碗には一粒のお米も残らない習慣になっていた。それだけでなく、私にとって、もう一つ大切なことは、おじいさんから習った床に落としたお米の処理方法である。私の不注意で、お米を落とすことが今までもある。もし何もしないと、知らない人に踏まえられたら、靴にも床にもついてぺたぺたになって、とても困ってしまうだろう。ところが、おじさんはご飯を節約しながら、ある動物にも満足させることができるというような一石二鳥の方法を思いついた。それは落としたご飯の粒を拾い上げて、食事が終わったあとで、家の前にある小川に投げ込んで、魚に餌をやることだった。私たちにとって、このご飯の粒はもう汚れすぎて食べられなくなったが。だが、小川の魚にとって、美味のいいものかもしれない。だから、「ゴミになったとしても、使い道によって役に立つ可能性がある。勝手にご飯を捨てるな」と今でも心に銘じている。

 おじさんは臭覚が弱くなったにもかかわらず、節約しながら、いつも美味しいご飯を作ってくれていた。もし誰に「あなたが一番好きな食べ物は何だろう」と聞かれたら、皆さんは海の幸であろうと、山の幸であろうと、いろいろな答えが出てくるかもしれないが、しかし、私にとって、どんな高級料理であっても、やはりおじいさんが手作りしたお米の団子に及ばないのだろう。小学校の時、家は学校に近かったので、私は家に帰って昼ご飯を食べていた。出かける前に、おじいさんは白いおこげで団子を作って、少し砂糖を撒いた。そうして、おじいさんは午後お腹が空いたら、すぐに食べられるだろうと思っていたようだが、私はお腹が空くまで待てずに、学校に行く途中でもう食べてしまった。

 今ご飯を作るのはとても簡単なことになっている。研いだお米を炊飯器に入れて、電源を入れた後、何も心配せずに、美味しいご飯が出来上がることを待つだけでいい。昔のように、かまどの前に座って、火の加減を見守るおじいさんの姿はもう見られなくなって、懐かしいと思うしかない。かまどで作ったご飯にはご飯そのものの香りだけでなく、おじいさんへの思いも綴られている。

 もう一度昔へ戻りたい。

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