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「米」 範丹雲出 大連工業大学

2016-10-14 13:36:59     cri    

 ある春の日、天気が暖かくて、気持ちいいから、私と父 庭で出産したばかりの焼酎を味わった。

 「どうして、お米がそんな濃厚な香りをしてる焼酎になれるの?知ってる?人生は自分がお米のようにいるんな試錬に耐えて、生活において発酵させるというもんだよ。」と父がほほ笑みながら、私にそう言った。そんな言葉を聞いたと、思わずにどうしてそう考えてるという質問が父に聞いた。そして父は若い頃のエピソードを教えてくれた。

 あの時、父は 24 歳だ。北京暮らしがもう5年になったが、生活は相変わらず辛い。父は南方にある小さな村の出身で、高校の時勉強に興味がないので、中途退学した後、家族の反対をよそに 一人きりで北京に来た。色んな仕事をしたけど、大体簡単で、苦労な体力労働だから、父は年中骨身を惜しまず働いても、豊かに暮らしができなかった。反対に、一緒に働いてる工場の知り合いに誘われて、ギャンブルに夢中になっていたので、たくさんの借金を抱えていた。「もう ダメだ。」あの時、父は生活に絶望した。

 父は自分がここで生きていくことができないという事実がよくわかった。恥ずかしがっても、故郷に住んでいる両親に電話をかけた。しばらく 祖父は電話に出た。祖父の声を聞いたと、父は思わず涙をこぼした。ちょっとの間、祖父は黙ってた。「帰って来い」と言って、電話を切ってしまった。

 しょうがない。父は父母からもらったお金で借金を返してしまった。北京に5年くらい住んでいたところを離れって、汽車で故郷に帰った。あの時、ちょっど冬になった。祖父が大きくため息をついた後、「以降、うちの酒造場に手伝をしてあげろ。」と父に言った。それから、父は毎日うちの家伝の伝統的で、小さいな酒造場で雑役に従事していた。家伝の酒造場なのに、小さい頃から酒造りなどに興味が持ってないから、そこで一体どんなお酒を造ってでも知らなかった。うちのような酒造場にとって、米から焼酎を造るのは一番良い季節が冬なので。2 カ月のうちに、工人と一緒に忙しくて、精一杯で働いた。ある日、不幸な知らせが耳に入った。祖父は年を取って、過労でひどい病気になってしまったので、入院した。医者さんは父さんに長い間に仕事ができない、よく休養するように言いつけた。酒造場の工人たちも心配を掛けでいた。入院していた祖父は酒造場の仕事を父に任せてあげた。祖父も内緒で年配の工人たちに私のことを頼むと言いつけた。あの時、父は長男として、初めて責任感がした。

 あの日から、父は酒造りについてのが少しだけ知ってるから、もっと勉強しなければならないと思った。一生懸命に工人に勉強してもらいながら、酒造場の状況を知ってた。基本なことから 精米 、米洗い、米蒸し、麴造り、もと(酒母)造り、仕込み、発酵、搾り、濾過熟成などの酒造のステップを習った。昔から「一麴、二もと、三造り」と言われるように、うまい酒造りの鍵を握ってるのが麴で、その出来映え次第で酒の質も左右される。季節、温度、地域などにようって、かかる時間も違う。そういうことを知った後、だんだん麴についての研究が夢中になった。最初、少し知識と経験を持ってたから、一部分の焼酎が変な匂いをして全然飲めなかった。そういう事実が早く大人になりたい父にとって、もちろんショックだ。でも、早く失敗して、早く改善するというのは父の座右の銘であるから、繰り返し繰り返しやってみて、やっと二年後の春、父は自分で造ったいい香りをしてる焼酎を祖父に一つ持ってきた。父は年をとるに連れて経験も豊富になり、酒造場も調子いいに経営している。父は祖父と一緒に焼酎を味わっていた時、辛い味ばかりではなくて、甘い味も味わったことがあったと私にそう言った。それは青年時代の情熱と年配の醇厚だ。それも人生の味ではないでしょうかという考えが思い出した。

 本当だ、何も犠牲なしに、何も得ることはできない。苦しく感じてこそ、運命が変える。

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