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「米」 王敏瑋 外交学院

2016-10-14 13:34:31     cri    

 「三合のお米を研いだあとに 1 時間しっかり浸水させておきます。それができたら、米をざるに上げて鍋に移して、中指を垂直にお米の中に挿して、中指が全部水没するまで水を加えます。米が平らになるように手でさっと混ぜてあげます。強火で鍋の水を沸騰させたあと、そのまま2分炊き、その後、火を弱めて 9 分炊きます。それで家族のみんなが大好きな、甘くてもちもちのご飯は完成です。」

 母はお米を炊くとき、よく私にそう言います。母が炊いたもちもちのご飯は一番美味しい、私はずっとそう思っています。二年前、私はふるさとを離れて、ただ一人で北京で勉強をはじめました。食堂で毎日ご飯が食べられますが、そのご飯は硬くて、米の香りも薄いです。「不味い」とは言えないけど、美味しくないと思います。「お母さんが炊いたご飯が食べたいなっ」て、母と電話するとき、いつも甘えた調子でそう言います。こんなとき母は甘える私をわらって、「休みのとき、毎日炊いてあげるよ」と慰めます。それを聴いて、知らず知らずに望郷の思いが募ります。

 夏休みに、姉のところに遊びに行ったとき、お米の種類も、炊飯器も違うのに、姉が炊いたご飯は母のとすごく似ていて、柔らかくて、もちもちで、甘い味がしました。姉にわけを聞いてみると、「お母さんが教えてくれた炊き方だから、味が同じで当然だよ。大学生にもなって、そんな簡単なことがわからないの」と笑われました。わたしは返答に窮しました。

 美味しいお米を味わうと、いろいろな思いが頭にこびりついて離れなくなります。炊く人によってご飯の味が違うのは当然です。これは当たり前のことですが、でも、そのことに深い意味などないと言えるでしょうか?「お米」って一体私たちにとってただの主食なのですか?普通すぎて、忘れるほどの存在ですか?繰り返し考えた後、私はやっぱりお米はそんなものではないと思いました。

 中国人は「本物の水は香りがない」とよく言います。だからこそ、お茶の淹れ方一つで、お茶を美味しくする力があるのです。お米もそれと同じだと思います。お米の味は平凡ですが、家庭ごとに鍋も、炊き方も違います。ですから、同じ種類のお米でも、それぞれぜんぜん違う味になります。炊き上がったご飯の匂いを嗅ぎ、それを食べると、「これはふるさとの味だなあ」とか、「あれ、おふくろの味だ」とか、すぐわかります。私たち人間は目や言葉だけじゃなくて、ご飯の味の違いから、家族を見分けることができます。家族はそれぞれ別のところで別なことをして生きていますが、同じ味をあじわっているだけで、心が通じ合い、この孤独な世界の中でお互いに帰っていける場所になります。そして、息が詰まりそうな現実世界から、ほんの一時顔を出して一息つきます。私たちはお米から生きる力を分けてもらっているのかもしれません。

 太陽は東から昇り西に沈むことを繰り返し、時間は先へ先へと流れています。そして、お米の味も幾世代にもわたって受け継がれていきます。お母さんが真剣にお米を美味しく炊いている一刻一刻が、娘さんの人生にそのお米の独特の味を刻みます。お米の味は一生娘さんについていき、そして、娘さんがお嫁さんになり、自分の小さい家庭を作って、お母さんからもらった味をそのまま子供たちに与えて、新たな世代の記憶になります。時間はとどまることなく流れ、私たちも日々変化しています。でも、お米の味の記憶はいつまでも変わることなく鮮明です。

 お米は主食として、私たちの活動を支えて、おなかいっぱいの満足感を与えてくれます。また、ご飯の味はそれぞれの家族の個性として受け継がれていきます。お米のおかげで、私たちは生きています。そして、お米があるからこそ、私たち人間は家族とともに楽しく、末長く生活していくことができるのです。

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