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「米 小さくても思い出はいっぱい」馮婉 東華大学

2016-10-14 13:30:35     cri    

 
 
 今でも時々祖母が作るお粥が懐かしくなります。

 子供の時、母の作る米料理がおいしく感じられず、麺やマントウばかり食べていました。しかし五年前、祖母がこの悪い習慣を変えてくれました。中学校卒業後、母の故郷に行き、祖母を訪ねました。祖母は黒竜江省の五常県に住んでいます。五常県は水と土質がよく、「中国最高の米どころ」との名声を得ていますが、良質な米を食べてもおいしく感じない私には興味が持てず、久しく会っていない祖母に挨拶を済ませたらすぐ家に帰るつもりで、母と五常県行きのバスに乗りました。

 五常県に近づくにつれ、窓の外の景色が高速道路のアスファルトから水田に変わってきました。稲の苗がきれいに並び、苗と苗の間からは時々アヒルが顔を出していました。この景色を見ていると、住民達が平穏な生活を送っていることが感じられ、疲れていた心も弾んできました。

 ようやく祖母の家に到着すると、祖母が微笑みながら私達を出迎えてくれ、家のどこからか甘い匂いが漂ってきました。匂いを辿って行くと、台所の中に古いこんろを見つけました。蓋を開けると、お粥が煮えたぎっています。「なんだ!お粥か!」がっかりした私はそう呟いて台所を出ました。「アイちゃん、どうしたの?お粥嫌いなの?」祖母にこう聞かれた私は、「ううん、嫌いじゃないよ。」と嘘をつくしかありませんでした。

 ところが、しぶしぶそのお粥を口にしてみると、意外にもおいしかったのです。いつの間にか2杯も食べていました。驚いた母に「お粥、大嫌いじゃなかった?」と言われましたが、今まで食べてきたお粥と全く違ったのです。どう形容したらいいか分かりませんが、普通といえば普通なのに、何となく人を安心させる力がある味でした。

 翌日、好奇心に駆られた私は、「何か秘訣があるの?」と祖母に聞いてみました。祖母は「秘訣というより、お米への感謝の気持ちを込めることが大事だよ。ここの人はみな米のお陰で豊かな生活を送れているからね。食べる時、自然に恵まれているありがたみを噛みしめないと。」と笑いながら答えてくれました。

 当時の私には説教じみた物言いにしか聞こえませんでしたが、今になって考えてみると理にかなっています。米はただ命を保つためのものではなく、人々の生活へも深い影響を及ぼしています。稲を植えるには多くの時間が必要ですが、田植えは県民達の生活の重要な一部になっており、無農薬の土壌の維持、良質な苗の育成、肥料の施し等、みな全精力をつぎ込んで米を生産しています。日々水田で苗の逞しい成長を見守れることは、県民達にとって何より嬉しいことでしょう。

 私の実家では米は生産していませんが、米とは深い繋がりがあります。我が家の春節の主役は米です。米をすりつぶして粉状にして蒸すと、粘り強い液体になります。それを温かいうちに対聯の裏に満遍なく塗り、ドアの両側に貼ります。父が椅子に立って対聯を貼る時は、私の役目も重要です。糊が入ったお碗を持っていると、糊の匂いも温かさも感じます。父が「糊。」と言うと、すぐ父の手が届く所まで手を伸ばします。故郷の冬は寒いので、貼り終わると耳も鼻も赤くなります。父は手をすり合わせ、私の耳に置いてきました。父の手は糊と同じように温かく、触れると心が落ち着きました。故郷を離れて大学生活を送る私は、冬休みも実習で帰省できません。上海は普段は賑やかですが、春節になると何となく物寂しく感じます。市内は爆竹禁止で、対聯を貼る家庭も少ないです。爆竹の音が聞こえず、糊の匂いをかげない時が最も寂しいです。

 一粒の米は小さいですが、そこには私の思い出がぎっしり詰まっています。祖母や母と過ごしていた日々も父の手の感触も、その米の中に詰まっています。その米の温もりからは、祖母や両親の愛も感じられます。辛いことがあっても、この米からもらったパワーで何とか乗り越えてゆきます。

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