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柴山喜八郎

2015-09-09 14:29:46     cri    

 柴山喜八郎の1954年7月15日の供述書によると、1922年、東京都生まれで、1940年に中国侵略戦争に参加、1945年8月に捕虜になった。重要な犯罪行為は次の通り。

 1940年5月、山東省滋陽県で重機関銃の威力を確認するため、「天秤棒を担う40歳から50歳前後の中国人に向け、30発を撃った。中国人5人が虐殺された」。

 1941年12月、山東省莱蕪県で、50歳ぐらいの農民の口に水を流し込むなど拷問した後、ほかの同僚が「軍刀で首を切った。まだ死んでいないため、私が銃剣で胸を刺して虐殺した」。

 1942年7月、山東省冠県で、50歳ぐらいの農民を捕まえ、同僚と共謀し、はしごに縛り、「口に水を流し込んで拷問し、九五式軍刀で腹を刺し虐殺した」。

 1943年6月、山東省聊城県で、監禁された国民党部隊の捕虜の中に「大腸炎の患者12人が出た。患者に何の治療もせず、食べ物を与えず、25歳前後の男性12人を虐殺した」。その後、さらに患者5人が出たため、「兵士5人に命令し、5人の捕虜を東昌城北門付近に連れて行き、銃剣で2人を殺害、銃で3人を射殺した」。

 1945年1月、山東省館陶県のある村で、「住民が避難し、無人となった家屋100戸に放火」に加わった。さらに2月、冠県でも「家屋200戸に放火」に加わった。3月、山東省荏平県でも「家屋60戸に放火」に加わった。

 1940年9月から1945年5月、山東省兖州、莱蕪県、聊城県、陽谷県、臨清県、済南市、禹城県の各地で「慰安婦」を強姦し、「合わせて30人(中国人女性16人、朝鮮人女性14人)を強姦した」。(殷、YM)


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