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6月29日 月曜日

2015-06-29 20:50:00     cri    


 一時間目、「ライフマガジン」と「北京暮らし」、肥満症VS永安里

 <ライフマガジン>

 話題1:中国人の肥満症

 話題2:なぜ中国で自動販売機が人気にならないのか?

 <北京暮らし・北京の町巡り>
 <北京暮らし>のシリーズコラム「北京の町巡り」でご紹介していきたいと思います。北京で外国人の駐在員がよく集まっている住宅エリアの一つ「永安里」です。「永久」の「永」に「安全」の「安」、そして、「里山」の「里」と書く「永安里」は、北京市のメインストリート「長安街」沿いで、東部の朝陽区にあります。その名前は、ここにある大型住宅団地、「永安里コミュニティ」に由来しています。その周辺には、外資系企業や大使館区、または外国駐在員のマンションが沢山集まっていることから、外国駐在員がよく暮らしている住宅エリアでもあります。永安里に行くなら、地下鉄1号線のご利用をお薦めします。「永安里駅」で降りればすぐ着きますから。また、この辺りのランドマークといえば、大きな携帯電話の形をした、BTV北京テレビ局の新館が挙げられます。

 月曜日2の時間目、<スペシャル番組>として中国の現代詩人とその作品にクローズアップしてお送りいたします。4回目にご紹介するのは、中国の中華民国時代の才子といわれる有名な作家であり詩人の徐志摩(じょ・しま)とその作品です。

 徐志摩(じょ・しま)は、中国の中華民国時代、20世紀の近代中国における有名な現代詩人で、作家でも散文家でもあります。1897年1月15日に中国浙江省海寧市の裕福な家庭に生まれ、杭州高等学校を卒業後、上海の瀘江大学、天津の北洋大学、そして北京大学で法律を学び、21歳の時にアメリカに渡り、クラーク大学とコロンビア大学の大学院で経済学を専攻しました。1921年、政治経済学の勉強のため、イギリスのケンブリッジ大学キングス・カレッジに2年間留学しました。イギリス留学中、ロマン派の詩に惹かれ、数多くのロマン派の詩集を中国語に翻訳しました。

 そして帰国後、1923年に「新しい月」と書く「新月社」を創設し、「詩鐫(しせん)」や「新月」などの現代詩集を刊行し、欧米や日本などをさすらう放浪詩人として、数々の作品を発表して中国の新詩運動に力を尽くしました。このように活躍を続けてきた徐志摩でしたが、1931年11月、飛行機事故で亡くなりました。享年34歳という早すぎる死でした。しかし、その短い生涯に作られた魅力溢れる現代詩は、今でも人々に愛されています。

 彼の詩集から、「再別康橋(さらば、ケンブリッジ)」、「偶然(ぐうぜん)」と「我不知道風是在哪一个方向吹(風はどこに向かって吹くのだろう)」という三つの作品を選んでご紹介します。

 作品一:

 「再別康橋(さらば、ケンブリッジ)」は徐志摩の代表作の一つで、中でも「軽軽的我走了、正如我軽軽的来(僕はそっと去る、かつてそっと来たが如く)」の部分は淡い別れの悲しみを描き出したクールな一面を持っていますね。今でも若者の間で広く知られています。この詩は中国だけでなく、多くの外国語にも訳され、世界中の人々に愛読されています。この有名な詩とケンブリッジとの縁を記念するため、2008年、ケンブリッジを流れるカム川のほとりに、この詩の最初の2行が記された大理石の石碑が建てられました。

 ちなみに、「康橋」とは、ケンブリッジの発音からの中国語の当て字です。現在では、一般的に「剣道」の「剣」に「橋」と書いて、「剣橋」と呼ばれています。例えば、「ケンブリッジ大学」は「剣橋大学」と言います。一方、そのライバル校の「オックスフォード大学」は中国で、「牛」に「津々浦々(つつうらうら)」の「津」と書いて「牛津大学」と呼びます。

 《再别康桥》

    ――徐志摩

 轻轻的我走了,

 正如我轻轻的来;

 我轻轻的招手,

 作别西天的云彩。  

 那河畔的金柳,

 是夕阳中的新娘;

 波光里的艳影,

 在我的心头荡漾。  

 软泥上的青荇,

 油油的在水底招摇;

 在康河的柔波里,

 我甘心做一条水草!

 那榆荫下的一潭,

 不是清泉,

 是天上虹;

 揉碎在浮藻间,

 沉淀着彩虹似的梦。

 寻梦?撑一支长篙,

 向青草更青处漫溯;

 满载一船星辉,

 在星辉斑斓里放歌。  

 但我不能放歌,

 悄悄是别离的笙箫;

 夏虫也为我沉默,

 沉默是今晚的康桥!  

 悄悄的我走了,

 正如我悄悄的来;

 我挥一挥衣袖,

 不带走一片云彩。

 『さらば、ケンブリッジ』

     ――徐志摩(じょ・しま)

 僕はそっと去る

 かつてそっと来たが如く

 手を軽く振り

 かなたの雲に別れを告げる

 金色に染まった河畔の柳は

 夕日に立つ花嫁の如し

 波の光に揺れる艶やかな影が

 僕の心を揺らす

 柔らかい泥に生えたコケは

 きらきらと水底で揺れる

 ケンブリッジの波に身を投じ

 僕は一本の水草になりたい

 楡(にれ)の影に隠れた水たまりは

 泉ではなく

 天上の虹の如し

 浮き草を通り抜けると

 虹のような夢が沈んでいる

 夢探しだ 長い船棹を握り

 青い水草を奥へと進む

 星に光り輝く船に乗って

 星の光の中で歌いたい

 でも、僕は歌えない

 静寂は別れのメロディー

 夏虫も僕のために口を閉じた

 沈黙こそが今宵のケンブリッジだ

 静かに僕は去る

 かつて静かに来たが如く

 袖を揺らして

 雲一つも連れて行かない

 作品二:

 これは徐志摩が1926年に書いた作品で、別れた恋人との偶然の再会を描いたものです。「你不必驚異,更無須歓喜(驚く必要も、喜ぶ必要もない)」、「你記得也好,最好你忘掉(覚えていてもいいが、忘れた方が良い)」など、さっぱりとして洒落ている姿勢を見せたものの、ちょっと切ない気持ちが込められていますね。ロマン主義文学の精神が表れている作品といわれています。

 《偶然》

   ――徐志摩

 我是天空里的一片云,

 偶尔投影在你的波心

 你不必惊异,

 更无须欢喜

 在转瞬间消灭了踪影。

 你我相逢在黑夜的海上,

 你有你的,我有我的,方向;

 你记得也好,

 最好是忘掉,

 在这交会时互放的光亮。

 『偶然(ぐうぜん)』

    ――徐志摩(じょ・しま)

 僕は天空のひとひらの雲

 たまたま君の心に映る

 驚く必要も

 喜ぶ必要もない

 たった一瞬で消えていく

 僕らは闇夜に海上で巡り会う

 君は君の、僕は僕の方向がある

 覚えていてもいいが

 忘れたほうが良い

 巡り会った時に放った光を

 作品三:

 これも徐志摩の有名な詩の1つで、恋に落ちた喜びと、恋を失った憂いや困惑を描いた作品です。「夢」がこの詩のキーワードになっていますね。恋に落ちた時も、失恋した時も、まるで夢にいるようで、喜びや悲しみ、迷いなど、すべての感情がロマンティックに表現されています。さすがロマン派の恋歌ですね。

 《我不知道风是在哪一个方向吹》

            ――徐志摩

 我不知道风

 是在哪一个方向吹

 我是在梦中,

 在梦的轻波里依洄。

 我不知道风

 是在哪一个方向吹

 我是在梦中,

 她的温存,我的迷醉。

 我不知道风

 是在哪一个方向吹

 我是在梦中,

 甜美是梦里的光辉。

 我不知道风

 是在哪一个方向吹

 我是在梦中,

 她的负心,我的伤悲。

 我不知道风

 是在哪一个方向吹

 我是在梦中,

 在梦的悲哀里心碎!

 我不知道风

 是在哪一个方向吹

 我是在梦中,

 黯淡是梦里的光辉。

 風はどこに向かって吹くのだろう

        ――徐志摩(じょ・しま)

 風はどこに向かって

 吹くのだろう

 夢の中の僕は

 夢の波に身を任せ漂う

 風はどこに向かって

 吹くのだろう

 夢の中の僕は

 彼女のぬくもりに酔う

 風はどこに向かって

 吹くのだろう

 夢の中の僕は

 光り輝く美しい夢を見た

 風はどこに向かって

 吹くのだろう

 夢の中の僕は

 彼女の裏切りに悲しむ

 風はどこに向かって

 吹くのだろう

 夢の中の僕は

 悲しみで心が打ち砕かれる

 風はどこに向かって

 吹くのだろう

 夢の中の僕は

 暗い光しか見えない

 

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