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第十三話 晋東南反9路包囲作戦

2014-09-21 15:03:57     cri    

 1938年4月4日、日本軍華北方面軍第1軍が3万人余を集結し、同蒲鉄道(山西省の大同市から風陵渡までの鉄道路線)、正太鉄道(河北省の石家荘市から山西省の太原までの鉄道路線)、平漢鉄道(北京市の盧溝橋あたりから湖北省の漢口市までの鉄道路線)及び長治、屯国などの地域から出発し、9路に分かれ晋(山西省の略称)東南地域の八路軍と国民党軍に対し包囲攻撃を発動した。八路軍と国民党軍は日本軍の侵入を押しとどめていた。10日頃までには、3路に分かれ晋東南根拠地の後背地に侵入した第108師団の3つの連隊を除く日本軍の攻撃はすべて抑制された。八路軍本部が第129師主力部隊と第689団に命令し、武郷県に侵入し疲労困憊で孤立していた日本軍を攻撃した。

 4月15日午後、武郷県に侵入した日本軍第108師団第117連隊の3000人余が武郷県を放棄し、濁漳河(山西省長治市最大の川)に沿って東へ撤退した。八路軍129師は追撃を発動し、敵軍を殲滅した。16日未明、八路軍は武郷県の東にある長楽村で敵軍の大部分を遮断し、攻撃を発動した。先に長楽村を通り抜けた1000人余の敵軍は囲まれた部隊を救出するため八路軍へ猛攻した。14時頃、近くの遼県から来た1000人余の敵援軍第105連隊は、八路軍第689団、第772団の陣地を攻撃したが、我が軍に抑えられた。長楽村西で囲まれた敵軍も全滅した。

 今回の交戦で、八路軍は日本軍2200人余を殲滅し、我が軍の死傷者は800人余であった。第772団の葉成煥団長が犠牲になった。長楽村作戦の勝利は、日本軍の包囲作戦を打ち砕くことにおいて決定的な効果を生んだ。この後、日本軍はそれぞれ撤退し、八路軍第129師などは勝ちに乗じて追撃し、日本軍の「9路包囲攻撃」は徹底的に粉砕された。

 この戦闘では23日間にわたり、八路軍が日本軍4000人余を殲滅し、18県を奪還し、晋・冀(河北省)・豫(河南省)抗日根拠地が更に強化・拡大され、我が軍の冀南平原と豫北平原への進出における有利な条件が整った。(白昊、林) 

 晋東南反9路包囲作戦に関する公文書目録

1.1938年4月7日、朱徳、彭徳懐、鄧小平に送られた、劉伯承と徐向前が作成した反9路包囲作戦構想(中央公文書館提供)


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