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過去 現在 未来

 日本に来てから、あちこちの中国語弁論大会に招かれます。中国語の発音、発声の方は専門の先生におまかせして、弁論の内容の面で印象に残ったのは、中国をめぐる身近な体験をテーマにして、友好のための相互理解の大切さを訴える弁士がかなり多いということでした。

 去年の暮れにひらかれた日中友好協会主催の全日本中国語弁論大会で「国際化について」というテーマで発言した佐藤裕子さんは「われわれに必要なことは、さらに相手を理解することだ。相手をさらに知り、自らを知る。これが国際化の第一歩であり、世界平和の第一歩だと思う」と述べています。また「真の友好」というテーマで弁論した増子綾子さんは「われわれは、相手の真の姿をみる努力をしなければならず、そうしてはじめて、われわれは相手を本当に理解することができ、偽りでない友情が生まれ、真に友好関係を深めていくことができるのだ」と語っています。

 こうした熱のこもった発言を聞きながら、わたしは「相互理解と友好」といった問題に思いをめぐらしていました。わたしは思うのです。真の友情•真の友好には、その相手の過去、現在、未来を知る努力が大切であり、その過去を知ることは、よりよくその現在を理解し、その未来を喜びあうことに通じるのだと……。国と国との友好を考える場合も、こうした努力をかさねるなかで、はじめて激しい波風にも耐えられる友情、友好をはぐくみ、培っていくことができるのではないでしょうか。ここでいう過去、中国人にとっての過去には、中国の民衆にはかり知れない災いをもたらしたあの戦争、日本のひとにぎりの軍国主義者がひきおこしたあの中国侵略の戦争を避けて通るわけにはいきません。

 現在の中国では、十一億の民衆が過去のあの戦争の傷跡など中国の近代史が残していった重荷を背にしながら、豊かな未来をめざして「世界の運命にかかわる壮大な実験」(「第三の波」の作者トフラーのことば)をすすめています。九百六十万平方キロの中国の大地のどの一角をとっても、そこに中国の過去•現在•未来の縮図を見ることができるのです。

 もちろん、中国人が過去について、過去のあの戦争についてふれるのは、過去の歴史から教訓をくみとり、ふたたびああした戦争を繰り返させないためで、こうして守られる平和、友好が現在の中国にとっても、未来の中国にとっても大切であり、またアジアの平和、世界の平和、つまり中日両国の民衆をもふくめたアジアの、世界の人たちの幸福にとってもとても大切だからです。過去に目を閉じていては、こうした教訓はくみとれません。

 西ドイツのワイッゼッカー大統領は「過去に目を閉ざすものは、現在にも盲目になる」と述べていますが、現在に盲目であるものには、また未来を正しくとらえることもできないでしょう。

 

昨今の日本では、少数でしょうが、「過去に目を閉ざすもの」、はては「過去を歪曲(わいきょく)するもの」があらわれています。例えば、中国への侵略を「あれは侵略ではなかった」などという動きもあります。こうした危険な動きを芽のうちに摘みとっていくことは、友好•平和を願う中日両国の民衆の責務でしょうし、この点では民衆が歴史の真の姿を知り、こうした危険な動きを押しとどめる民衆の万里の長城を築くことが大切だと思います。こういった意味からも、わたしはより多くの日本の人たちに中国の近代史————外国の侵略と略奪にあけくれ、国はひきさかれ、民衆は塗炭の苦しみのなかから抵抗にたちあがった中国の近代史を大いに知って欲しいのです。

 今年の年の初めに日本を訪れた孫平化中日友好協会会長は、日中友好協会主催の新年会の席で「真の相互理解、相互信頼には、まだまだ多くの仕事をしなければならない」と述べていましたが、中国の民衆の血と涙でつづられた中国の近代史を知っていただくことも、孫平化会長のいう多くの仕事の大切な内容ではないでしょうか。

作者のプロフィール
 李順然、中国国際放送局(北京放送)元副編集長。著書に『わたしの北京風物詩』『中国 人、文字、暮らし』『日本・第三の開国』(いずれも東京・東方書店)などがある。
紹介した『東眺西望』
東眺西望(四十五) 国際と人際、国際と国粋

東眺西望(四十四) KEJIME―昭和から平成へ
東眺西望(四十三) 国際人とは……
東眺西望(四十二) 題字余韻
東眺西望(四十一) 北京の味 日本人の舌
東眺西望(四十) 大同と小異
東眺西望(三十九) ある「本」の話
東眺西望(三十八)ー大江健三郎と拼命三郎
東眺西望(三十七)ー小澤征爾の魅力
東眺西望(三十六)「まあ まあ」&「どうも どうも」
東眺西望(三十五)周総理・日本語放送・「文化大革命」
東眺西望(三十四) 養之如春--井上靖
東眺西望(三十三) 友は多ければ多いほどいい――廖承志
東眺西望(三十二) 花を愛する硬骨漢--老舎
東眺西望(三十一) 歴史の語り継ぎ――趙安博
東眺西望(三十)  膝を交えて改革論議――張香山
東眺西望(二十九) 皇族から庶民へ―溥傑
東眺西望(二十八) 「天に順う」に造反した男――康大川
東眺西望(二十七) 積健為雄―趙朴初
東眺西望(二十六) 正直に話そうーー巴金
東眺西望(二十五) 鄧小平訪日随行随想(その二)
東眺西望(二十四) 鄧小平訪日随行随想(その一)
東眺西望(二十三) 八路軍の少年兵と八木寛さん その三
東眺西望(二十二) 八路軍の少年兵と八木寛さん その二
東眺西望(二十一) 八路軍の少年兵と八木寛さん その一

東眺西望(二十) 北京放送局の庭の桜
東眺西望(十九) 「誠心誠意」が生んだ麺食いの本
東眺西望(十八) 中国飲酒マナー俗説と日本
東眺西望(十七) 大晦日の夜のセレモニー
東眺西望(十六) 北京の地下鉄の駅名に思う
東眺西望(十五) 夏衍

東眺西望(十四) 夏の甲子園
東眺西望(十三) 宇都宮徳馬
東眺西望(十二) ある「本」の話
東眺西望(十一) 卵・玉子・たまご・タマゴ
東眺西望(十) 孫平化
東眺西望(九) 「まあ まあ」&「どうも どうも」
東眺西望(八) 北京「鰻丼」食べ歩る記
東眺西望(七) 井上靖
東眺西望(六) 廖承志
東眺西望(五) 杉村春子さんと北京の秋
東眺西望(四) 北京飯店509号
東眺西望(三) 外国語上達法いろは
東眺西望(二) 徳は孤ならず 必ず隣有り
東眺西望(一) 日本人上海市民第一号
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