会員登録

国際と人際、国際と国粋

 日本の新聞・雑誌で「国際化」ということばを目にしない日は、ほとんどないのではないでしょうか。日本の国際化をめぐるフォーラムやシンポジウムもあちこちで開かれています。「日本は国際化の中で、その進路を見出していかなければならない」―この点では大方の見方は一致しているようですが、国際化のもつ意味・内容、その進め方などでは、いろいろの見方があるようです。あれやこれやの議論のなかで、ちょっと気になることもあります。中国には「抛磚引玉」ということばがあります。「磚」はレンガのこと、自分のつまらない意見、つまり「磚」を抛じて、よりよい意見、つまり「玉」を引き出すといった意味ですが、日本の国際化の論議のなかで、日本にいる一中国人 として、わたしがちょっと気になる点を幾つか思いつくままに箇条書きしてみました。いくらかでも「磚」の役割を果たせればと思って……。

 まず第一は、「欧米志向、アジア軽視」です。「欧米崇拝、アジア蔑視」という人もいます。国際化を語るとき、頭のなかにあるのは欧米、いわゆる西洋で、アジアのことはないがしろにされている。アジアを平等に見る目が足りないようだということです。口ではアジアの一員だといいながら、自らをアジアの上に置いているような考え方を感じることもあります。カトリックの司祭で、上智大学の助教授をしているフィリピン人のアビトさんは「日本で『国際意識』ということがよくいわれるが、それはアメリカ、ヨーロッパとの関係のことだ。明治維新の『脱亜入欧』の発想は、まったく変わっていない」と嘆いています。また、ヨーロッパでも「アジア通」の政治家の一人といわれる西ドイツのシュミット前首相(当時)は「日本はアジアで真の友人を持っていない。日本人はアジアを一段低く見て、いばりすぎているからだ。したがって盟主の座を狙って無理矢理に強行すると、いつかきた道の再現になってしまう」とまで言っています。かなり前のことですが、アメリカの日本研究家トーマス・ピッソン氏は『日本における民主主義の将来』という本で「アジア人からみて日本がどう再生するかが日本の将来を決める」と書いていますが、このことばが現在も現実的意義をもっていますし、将来も日本人がいつも念頭に置いておかなければならない警句でしょう。

 第二は「経済志向、人間不在」です。国際化というと、物と金の交流が優先され、人の交流でも物や金の交流につながるものが多く語られ、いちばん大切な人の心の交流がないがしろにされているようだということです。中国には、人と人の関係についていう「人際」ということばがありますが、真の「国際」には、しっかりとした「人際」が欠かせないのではないでしょうか。

 こうした日本の国際化の中にみられる「経済志向、人間不在」の傾向について、わたしの日本滞在中に東京で開かれた地球環境についてのシンポジウムの席上、コスタリカ・サンホセの平和大学天然資源学部長ブドウスキさんは「ブラジルでは、フィリピンやインドネシアで森林を切りまくった日本が、中南米に進出してまた切りまくるのではないかと心配している。日本のODAには一貫した政策がない」と語り、ロンドンの国際環境問題研究所外事部長のティンバレイクさんは「日本は第三世界の人と結びつきがなく孤立している」と述べていました。日本人のなかにも、この点を認めている人もいます。『経済セミナー』(一九八八年十二月号)で七海渉氏は「日本の援助が途上国の最貧層の生活向上の役にたたなかったという深い反省がないまま、日本がなお経済至上主義の立場をとり続けていること」が、やはり根本的な問題だと指摘しています。

 第三は「発信志向、受信不良」です。国際化というと、すぐに日本をいかに外国に伝えるかということで頭がいっぱいになり、その前提となるいかに外国を正しく理解するかということが、ないがしろにされているような気がします。最近のことですが、原爆の被爆地広島からは、その悲惨さを伝える情報が大量に「発信」されている一方で、同じ広島、正確には広島市に隣接する広島県賀茂郡の黒瀬町で、アウシュビッツ の虐殺の遺品をアウシュビッツの博物館から貸り受けてきながら日本側の原因で展示できず、そのまま送り返してしまった、つまり「受信」できなかったことなどは、こうした「発信志向、受信不良」の端的な一例といえましょう。とくに、アジア・アフリカ・ラテンアメリカといった第三世界を正しく理解しようという努力に欠けているようです。日本のテレビの番組に登場する第三世界の姿には猟奇趣味の濃いものが多く、見ていて腹が立つこともたびたびでした。情報氾濫の昨今の日本、「受信不良」はどうやら量の問題ではなく、質の問題のようです。

 国際化には相互理解が欠かせません。相手を理解しないで、一方的に「発信」することは、百害あって一利なしなのです。

 第四は「その場志向、歴史不問」です。国際化を語るさいも、その場のことしか目に入らず、将来への正しい見通しをもつために必要な過去の歴史にたいする自省ということが、ないがしろにされているようだということです。二十世紀に日本が歩んだ道、とくに加害者としての歴史には、今後の正しい道を見出す上での貴重な教訓が沢山あるのではないでしょうか。アウシュビッツからの生還者の一人シマンスキ氏は「過去を知ろうとしない人間は、残酷な過去をもう一度経験するよう審判される」と語っています。日本の加害者としての歴史にたいする自省ぬきの「その場志向」の繰り返しと積み重ねには、多くの自国民を犠牲にし、多くの他国民を殺したあの侵略戦争の道につながるものがあるように思うのは、わたしの杞憂でしょうか。

 まだまだ第五・第六……とでてきそうですが、「抛磚引玉」というわけで、このへんで筆をおくことにしましょう。

 いれずにせよ、わたしは日本の「国際化」が「国粋化」にならず、正しい「人際」をふまえた「国際」、平和と友好・繁栄につながる国際化、アジアの人々・世界の人々から歓迎される国際化であることを願っています。

 (李順然著『日本・第三の開国――中国人記者のみた日本』(日本東京東方書店一九九〇年)より)

作者のプロフィール
 李順然、中国国際放送局(北京放送)元副編集長。著書に『わたしの北京風物詩』『中国 人、文字、暮らし』『日本・第三の開国』(いずれも東京・東方書店)などがある。
紹介した『東眺西望』
東眺西望(四十五) 国際と人際、国際と国粋

東眺西望(四十四) KEJIME―昭和から平成へ
東眺西望(四十三) 国際人とは……
東眺西望(四十二) 題字余韻
東眺西望(四十一) 北京の味 日本人の舌
東眺西望(四十) 大同と小異
東眺西望(三十九) ある「本」の話
東眺西望(三十八)ー大江健三郎と拼命三郎
東眺西望(三十七)ー小澤征爾の魅力
東眺西望(三十六)「まあ まあ」&「どうも どうも」
東眺西望(三十五)周総理・日本語放送・「文化大革命」
東眺西望(三十四) 養之如春--井上靖
東眺西望(三十三) 友は多ければ多いほどいい――廖承志
東眺西望(三十二) 花を愛する硬骨漢--老舎
東眺西望(三十一) 歴史の語り継ぎ――趙安博
東眺西望(三十)  膝を交えて改革論議――張香山
東眺西望(二十九) 皇族から庶民へ―溥傑
東眺西望(二十八) 「天に順う」に造反した男――康大川
東眺西望(二十七) 積健為雄―趙朴初
東眺西望(二十六) 正直に話そうーー巴金
東眺西望(二十五) 鄧小平訪日随行随想(その二)
東眺西望(二十四) 鄧小平訪日随行随想(その一)
東眺西望(二十三) 八路軍の少年兵と八木寛さん その三
東眺西望(二十二) 八路軍の少年兵と八木寛さん その二
東眺西望(二十一) 八路軍の少年兵と八木寛さん その一

東眺西望(二十) 北京放送局の庭の桜
東眺西望(十九) 「誠心誠意」が生んだ麺食いの本
東眺西望(十八) 中国飲酒マナー俗説と日本
東眺西望(十七) 大晦日の夜のセレモニー
東眺西望(十六) 北京の地下鉄の駅名に思う
東眺西望(十五) 夏衍

東眺西望(十四) 夏の甲子園
東眺西望(十三) 宇都宮徳馬
東眺西望(十二) ある「本」の話
東眺西望(十一) 卵・玉子・たまご・タマゴ
東眺西望(十) 孫平化
東眺西望(九) 「まあ まあ」&「どうも どうも」
東眺西望(八) 北京「鰻丼」食べ歩る記
東眺西望(七) 井上靖
東眺西望(六) 廖承志
東眺西望(五) 杉村春子さんと北京の秋
東眺西望(四) 北京飯店509号
東眺西望(三) 外国語上達法いろは
東眺西望(二) 徳は孤ならず 必ず隣有り
東眺西望(一) 日本人上海市民第一号
関連内容