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西城区青竜橋小学

 楊哲三君(左)は、わたしの半世紀にわたる知音である。街頭の信号灯がおぼろにしか見えない楊君は、外出のさい玩具のようなカメラを手にする。そして街角の風景を心で提えてシヤッターを切り。わたしに送ってきてくれる。こうして、病身で外出もままならぬわたしを励ましてくれているのだ。(右)はわたし。

 ぼくの家は、北京市西城区の西便門というところにある。西便門とは、北京に城壁あり旧の城壁の西の角にあった便門(通用門)のことで、この一帯には遼、金、元、明、清の五代の王朝の遺跡がたくさん残っている。せまくるしい駕籠が大嫌いな清朝末期の最高権力者西太后が船に乗って西の離宮頤和園に向ったという運河もここを流れている。


写真2

 タイトルの青竜橋小学校は、この川のほとりにある小さな小さなこじんまりした小学校である。楊君はこの学校の校門の手前に立てられ掲示板の数文字に心を提えられた。「前方に学校あり、車は徐行」という北京市の統一した標識(写真2)のうしろにもう一つ(写真3)のような掲示板が立っていた。日本語に訳すと「天真爛漫な子供たちが あなたの愛を待っている。前方に学校あり、スピードを落としてゆっくりゆっくり」


写真3

 写真をもらった数週間後に、楊君がぼくの家に遊びに来た。爽やかな秋晴れの日だった。一緒に上述の西太后が船で頤和園に向った川の畔に散歩に出掛けた。帰り道に青竜橋小学の前を通る。校内から若い女性教師の「12345678・22345678」という明るい声が流れてきた。楊君が言った。

 「中国の大石先生だな」と。

 楊君とぼくは、もう六十年近く前の一九五六年に、北京をはじめ中国の十大都市で開かれた「日本映画週間」で上映された『二十四の瞳』という日本映画を観ているのだ。高峰秀子さんの演じる小学の若い女教師大石先生、子供たちが命を大切にする平和を愛する人間に育って欲しいとひたすら願い全身全霊を傾ける大石先生、スクリーンに映しだされるその姿に、楊君も、ぼくも涙を流した記憶があるのだ。二人は、あの映画の心を打つシーンを思い出し、語り合いながら散歩の足を運んだ。

 ぼくは、しばらく前の『朝日新聞』でみたこの映画の監督木下恵介さんが語った次のようなことばを楊君に話した。「最近また軍拡がすすめられるなど、おかしな世の中になってきた。しかし、いまの日本の庶民一人ひとりが、大石先生のようなしっかりした生き方をつかんでいれば、日本がふたたび戦争の道に走るのを許さないだろう。」

 楊君は足を止め大きく頷いた。楊君もぼくもそう思い、そう願うのだった。

 青竜橋小学校の校門の傍らには、秋の陽に照らされて、校是というのか、校訓というのか、下の写真のような数文字が訳されていた。わきに日本語訳を添えておく。


どの子もみんな楽しく健やかに育って欲しい

作者のプロフィール

 李順然、中国国際放送局(北京放送)元副編集長。著書に『わたしの北京風物詩』『中国 人、文字、暮らし』『日本・第三の開国』(いずれも東京・東方書店)などがある。

紹介した内容
第七十六回 西城区青竜橋小学
第七十五回 烤白薯と炒栗子
第七十四回 落ち葉
第七十三回 天安門素描
第七十二回 漢詩のなかの暑と涼
第七十一回 うちわとせんす
第七十回 五四大街・景山前街・文津街
第六十九回 ざくろの花とちまきの餡
第六十八回 柳絮・漢詩・俳句

第六十七回 黄塵万丈&霧霾万丈
第六十六回 春のリニューアル
第六十五回 北京の旅の穴場
第六十四回 圧歳銭
第六十三回 年の瀬に
第六十二回 涮羊肉と砂鍋白菜
第六十一回 酒鬼
第六十回 漢字の危機
第五十九回 「わたしの夢」さし絵
第五十八回 赤子の心
第五十七回 菊の花と人の顔
第五十六回 馮小剛・莫言
第五十五回 国慶節・天安門・私
第五十四回 エジソンと携帯電話
第五十三回 仲秋節
第五十二回 秋到来
第五十一回 同姓同名
第五十回 王府の今昔
第四十九回 光盤行動・低配生活
第四十八回 -禿三話-
第四十七回 交通マナー雑議
第四十六回 苦熱・溽暑
第四十五回 「雑家」の「雑文」
第四十四回 思い出のラジオ番組
第四十三回 大学受験シーズン
第四十二回 五月の色
第四十一回 ―法源寺・鑑真和上―
第四十回 北京の若葉
第三十九回 煙巻褲(イエンヂュエンクウ)
第三十八回 踏青
第三十七回 シルクロードの旅点描
第三十六回 シルクロード点描②
第三十五回 シルクロード点描①
第三十四回 春の装い
第三十三回 春を探ねて
第三十二回 擲球之戯
第三十一回 春節と餃子

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