栗の話が出ましたが、炒栗子(焼き栗)の香りもまた、冬の北京の風物詩です。冬を迎えた北京の街角には、焼き栗用の大きな鉄のお鍋が据え付けられ、このお鍋に入れた熱い砂利で蒸し焼きにした焼き栗の香りが漂います。
北京の栗は昔から有名です。司馬遷(前145-前86年)が書いた「史記」でも、北京は栗の名産地とされています。北京郊外の良郷や房山が栗の産地だったようです。日本で売られている天津甘栗の原料「板栗」も、天津がその輸出港なので天津甘栗といわれているようですが、主な原産地は北京、この良郷、房山一帯なのです。
下だって清王朝の時代(1616年―1911年)の北京の歳時記「燕京歳時記」にも焼きいもについてこう書かれています。
「サツマイモ(白薯)は貧富みな、たしなむ。べつに手数もかけず火を用いて蒸し焼きにすれば、おのずと甘美な味あり」
この歳時記には焼き栗のことも記されています。
「栗が出回れば、これを黒い砂で炒焼きすると美味なり。灯火の下で書物を読むかたわら皮を剥いて食べれば、その味とびきり良し」
栗については、唐の時代(618-907年)に北京の栗が皇帝への献上品として、ときの都、長安(現在の西安)に送られたという記録も残っています。
こうしてみてみると、焼きいもにしろ、焼き栗にしろ、千年も、二千年も昔から北京に住む人に愛され、親しまれた味なのです。高層ビルが林立し、自動車が洪水のように流れている昨今の北京。だが、北京っ子は今もこの味の文化に心を寄せています。私の眼には、耳には冬空に向かって歌うような素朴な売り声とともに、笑顔で客に焼きたてのいもを、くりを手渡すおじさんが、この味の文化の現代の守り手として映るのです。北京の焼きいも、焼き栗万歳、万々歳!
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