第七十四回
落ち葉
今回はちょっと趣きを変えて常連の張紅さん(三聯書店のベテランアートディレクター)の絵のはか、ゲストとして私の担当しているもう一つのコーナー楊君のワンショットで写真撮ってくれている楊哲三君(北京で発行している日本語月刊誌『人民中国』の元副編集長)の写真。それに加えて老妻のハナの手習いのお習字の練習帳から内緒で拝借した十六文字を載せてみました。
日暮れどき風吹きて
落ち葉ひとつ枝に依る
寸心にもえる丹き意
君未だ知ざるを愁う
劉宋(420~479年)の青溪小姑とよばれる一女性が残した「落葉」というタイトルの詩です。深まる秋、枝にしがみつくようにして堪えている一枚の紅い葉に自分の燃えるような恋心を重ね、この想いがあの人に伝わっていないのではと嘆く娘心を綴った詩ですが、とても五百年も昔の人の手になるものとは思えません。
青溪小姑――青溪とは地名、小姑とは一般に義理の妹のことですが、ここでは利発な女性、才女といった意味で使われているようです。この詩の原文(中国語)は、「日暮风吹/落叶依枝/寸心丹意/愁君未知」とわずか十六字、日本の俳句よりもさらに一字少ないのです。十六字のなかにこんなに豊かな深い感情を歌い込んだ青溪小姑、まさにたいへんな才女だったのでよう。
まず張紅さんの絵。掃除をする人が地に落ちた枯れ葉に注ぐ瞳には、またそのほうきの先には、春には生き生きとした若葉で、夏には濃いみどりの木陰で人々を楽しませてくれ、いま役目を終えて地に落ちた枯れ葉への感謝の気持ちが感じられます。
張紅さんの絵では、お掃除をする人は人民帽に人民服ですが、昨今ではだいだい色のお揃いのスマートな作業服に野球帽、でもさあー、さあーというほうきで落ち葉を掃く「メロディ」は昔も今も同じ、朝までき、わたしはこの「メロディ」をBGMにして、ときどき早起き者のカササギの「ワウワウワウ」という鳴き声も入ってきます。今回のこのコーナーの構想も、この朝まだきのひとときに生まれたものです。
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