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「中国改革開放第一村」小崗村の30年(下)
   2008-10-24 14:00:17    cri

「中国改革開放第一村」小崗村の30年(下)

 ■合作社の試み

 小崗村は豊かになる道を模索し続けていました。

 2006年、当時の書記の沈浩さんは、工業化の考えで農業を発展しようと、ある試みを始めました。その核心もやはり土地でした。

 沈さんは、村で、「小崗村発展合作社」という会社に準ずる組織を作ろうと思います。村は土地をもって資本金とし、このほか上海の家禽養殖会社とジョ州市食糧局の共同出資が入ります。

 「一軒一軒、単独の農業経営をやめ、まずは、土地を集約させて、資源の集約化を図ることです。1ムーあたり500元で、農民から土地を借ります。」

 養殖会社は村で200ムー余りの土地を調達できました。その土地で、近代的な養豚場が作られました。養豚場に土地を貸した農家の人は出稼ぎに出て行った人もいれば、養豚場の従業員になって、月給800元で働く人もいます。

 「給料のほか、地代に年末の配当金を足せば、1ムー当たり年間2万元余りの収入になります。農作物を作る場合は、せいぜい500元ですので、農民の収入が大幅にアップしました。」

 葡萄、養豚の合作社のほか、村にはマッシュルーム栽培のための合作社もできました。

 昔、マッシュルームの販売は安徽省の販売会社一社にたよっていました。そのため、買い取り価格や支払い面でいつも農家が不利な立場になっていました。

 「合作社を作った後、農家はまとめて種や肥料、生産資材を購入し、自分たちで販売ルートを開拓しています。これにより、生産コストは20%節約され、販路もそれまでの一社から複数の会社に広がり、個々の農家が単独に交渉するよりはずっと有利になっています。」

 合作社はまた社員向けの低利子融資も提供しています。利息の優遇だけでなく、借金の手続きもたいへん簡単で、社員の担保さえあれば、当日中にでも資金を手にすることができます。

 20年あまりの停滞をした小崗村は、土地の経営権を柔軟に応用したことで、一人あたりの純収入は数年前の3000元から倍増して、6000元になりました。ただし、農村の土地経営権の譲渡について、国は明確な規定がないため、一旦トラブルでも起きた時、頼りとする法的根拠すらないことが村人の心配事でした。

 そんな中、今年の9月末、胡錦涛主席が村を訪れました。胡主席が農家の庭で語った言葉を聞き、小崗村の人々は安堵しました。

 「今の土地請負制度を長期にわたり保ち、農家に十分に保障のできる土地請負経営権を与えるべきです。また、農家が土地請負経営権を譲渡したり、経営規模を拡大したりするのを認めることが必要です。」

 このことは後に、三中全会の出した公文書の内容になり、全国に向けて発表されました。

 ■今後の発展に向けて

 ところで、今の小崗村は発展する上、どのような難題にぶつかっているのでしょうか。

 葡萄園を経営している厳徳友さんの話です。

 「もっと多くの土地を借りて、もっと大きな規模にしたのですが、資金調達は難しいですね。」

 村には、郵貯(ゆうちょ)銀行のほか、農村信用社しかありません。郵貯銀行は、預金を預けることのみで、貸付は行っていません。一方の農村信用社は小口の短期融資しか提供できません。また、内部で簡単に融資できる合作社は、会員の互助資金しか取り入れることができなく、外部からの預金を吸収できない制限がかかっています。

 鳳陽県の都市計画最新案では、小崗村は周囲の鎮と合併し、人口5万人の町になります。

 「もしこの案が認可されれば、小崗村は一つのブランドとなり、より広い空間、より多くの人的資源を有し、より大きな発展の舞台に立つことができるようになります。」

 地元の幹部は今後に大きな期待を寄せています。

 小崗村を何度も視察して、調査研究をしていた鳳陽県の幹部は、小崗村についてこう評価しています。

 「小崗村の人は、回りからとやかく言われることをたいへん気にしているようです。昔、自ら切り捨てた道を再び歩んでいるとは言われたくはないし、かつて、手に入れた栄光も捨てたくはないようです。一方、小崗村の歩んできた道は、中国の農村改革のプロセスそのものです。小崗村が直面している問題はいずれも典型的なもので、農家生産請負制の限界を明るみに出しました。」

 小崗村は衣食さえ保障できない村から、食糧の問題を解決し、さらに豊かさを求める道を歩めるようになりました。様々な矛盾やジレンマを抱えながらも、発展の道を歩み続けています。(『小康』、『瞭望』誌の記事を参照。Yan整理)

 【背景資料】

 30年前、小崗村で何が起きた?

 家族請負生産制の開始

 1978年11月24日の夕暮れ時、安徽省鳳陽県小崗生産隊の粗末なわらぶき家に、18世帯の農民が集まりました。

 ぼう切れを身にまとい、食糧不足で顔色も悪い農民たちは、ある大胆な決定をしました。彼らは、当時、人民公社を単位に、集団で農作業をするという国の制度と反対に、「田んぼや畑を個々の農家に請け負わせ、村が国に上納しなければならない食糧を各世帯で作る」ことを決定したのでした。

 生産隊の隊長、副隊長を初めとした18世帯の農民は、中国の古来のやり方に従い、契約書をつくり、指で捺印しました。

 緊張した面持ちの彼らは、心の中では、最悪の覚悟はできていました。

 「もしも失敗した場合、幹部が投獄されても死刑にされても悔しくは思いません。その場合、彼らの子どもは村民全体で育てることになります。」

 耕地の請負制を宣言したこの契約書は、その後、中国革命博物館に収められ、中国農村改革の第一声として展示されています。

 1978年当時、20年にわたって実施された人民公社制度は、全国の農民を土地にかたく縛り付けていました。「大鍋飯」の弊害はすでに明らかで、農業効率の低下は農民の生存をおびやかすほどになっていました。

 「たくさん働いても少ししか働かなくても、結果や所得に影響しない」人民公社制度は、農民たちの働く意欲を損ない、集団経済の効率の低下の要因となりました。しかし、当時の人々は家族経営による農業生産は、「数千年前から継続してきた」立ち遅れた経営モデルだと見なされていました。

 小崗村は付近でも有名な貧困村で、「食べ物は国の救助した食糧に頼り、金を使うには補助金に頼り、生産活動には貸出金に頼る」と揶揄(やゆ)され、秋の収穫後には、村の多くの農家が物乞いをしに行かなければならないほどでした。

 1978年の安徽省は、春から干害が続き、夏取り入れの作物は全省規模で大きく減産しました。小崗村の農民たちは、農家生産請負制を導入するほかない状況に追い込まれましたが、その効果は抜群でした。

 小崗村は翌年、大豊作を実現し、税穀物を初めて国家に納め、借入金も返済しました。当時の安徽省の万里・党書記の支持の下、生産請負制はまたたく間に安徽省全土に広がりました。

 「世帯生産請負責任制」と名付けられたこの農村改革はその後、急速に全国に広がり、中国農村には世界が認める変化が訪れました。中国の食糧生産高が1977年の2.8億トンから2008年の5.1億トンに増え、農民一人当たりの純収入も1978年の133元から2007年末の4100元余りになり、年平均7%以上の伸び率を保っていました。(チャイナネットを参照)

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