奥田正彦
東京都府中市。1988年のある夜、偶然の機会で北京放送と出会い、そして虜になる。その後北京放送を聞く会会員となり、会が主催する諸活動に意欲的に参加してきた。
1997年からの一年間北京留学中、日本語放送番組によく出演し、日本語部スタッフとの付き合いをさらに濃い ものにした。今は趣味の篆刻を研鑽する一方、懐かしい北京放送の若いアナウンサーの放送に耳を傾けている。
中国語講座
1988年のある夜、ラジオをいじっていたら「こちらは北京放送局です」に続いて、「 やさしい中国語」(曙 光講師)、「応用中国語」(陳真講師)の電波が飛び込んできた。 ちょうど、広州の友人に毎週日本語の 「話しことば講座」(NHK)をテープにとって 送っていたこともあり、「ことば」というものについて関心が高ま っていた。折りも 折り、飛び込んできた中国語の響きで関心が増幅されたのはいうまでもない。中国語講座は続 けて聴講した。番組の終わりに東京でのスクーリングの案内があった。
スクーリングは「北京放送を聞く会」が主催で、代々木の青少年センターで2泊3日だ ったと記憶している。北 京から数名の日本語部アナウンサーが講師として来日され盛 況だった。ナマの中国語に接した初めての体験で ある。
北京放送を聞く会に入って日本語部との交流が始まった。聞く会は月例会やスクーリ ングのほかに毎年訪中 団を送っていた。90年6月の第12次北京放送を聞く会友好訪中団(21名)に参加した。9日間、北京、西安、 南京、上海を訪ねた。案内役は局の外 事処と日本語部のメンバーだった。行く先々の放送局では、国際局の お客様というわけで歓待され、一般のツアーなどでは味わえない贅沢な旅だった。僕にとって、北京放送が取り もつ初めての訪中である。
思い出インタビュー
何度かの訪中で強く印象に残っているのは江南の旅である。30名からなる大訪中団で 、上海、蘇州、無 錫、杭州を訪ねた。お天気に恵まれず、中でも杭州ではバケツをひ っくり返したような土砂降りにあった。以後 の旅行でもよく雨に遭うことから、すっ かり雨男にされてしまった。今でも顔を見ると雨男が来たといわれてい る。話がそれたが、訪中のたびかならず北京放送局に立ち寄るのだが、江南の旅はコースに北京が入っていな い。僕は北京放送を聞く会ニュースの取材をするため、北京経由で帰るこ とにした。
その年95年は、92年から建設を進めていた新局舎ができあがって、年末に引っ越すこ とになっていた。旧局 舎は中国建国十周年の十大建築のひとつで、人民大会堂と同じ年にたてられた意義深い建築物である。住み慣 れた、由緒ある局舎を離れなければな らない。その辺りの思いを、長年勤務されている何人かの方に訊ねよう と思ったからだ。
4人の方から話を聞くことができた。40年近い歴史を懐かしむ気持ちと新しい局舎に 対する期待とが入り交じっ たインタビューとなった。
|