豊寧県の希望小学校
その後の15年位は、私は自分の生活から、また自分で働いた分から、何かをしようと気がつき、豊かでなくても、金持ちでなくても、心がけ一つで、何かできることがあるはずだと思い、「お茶代」として一日300円、一ヶ月1万円を積み立て、それに、いく人かの友人たちの支援なども加えて、最低一年で10万円をという気持ちで、希望工程のために献金してきました。
私たち一家は日本人の平均以下の収入の年金暮らしの庶民ですが、主人の理解があり、何より全員が健康であることを感謝すれば、素朴で、贅沢をしない家族なので、なんとかなります。
2年前の2004年に、定期預金が満期になったので、200万円を持参して、北京に行きました。そして、その金でパソコンの機器と冬の暖房用具などを買い、北京から日帰りできる距離の河北省豊寧県六道溝小学校の全教室につけました。はじめからだと500万円近くになるかと思いますが、私はいい加減な人間ではっきり記録もしておらず分かりません。日本ではたいした役にもたたない金額で、十分にいきる国で、未来ある子供たちのために役立つなら、こんなうれしいことはないと信じて、小さな力を出させていただいているわけです。学校を離れたときに、子供たちの「日本のおばあさん、ありがとう」との叫び声は生涯忘れられません。
私が子供たちの教育のために寄付をおこなうのは、私自身赤ちゃんから老人まで、ずっと社会福祉の仕事にかかわってきましたが、子供たちの教育に携わった期間が10年以上で一番長かったこと。本当に生涯、子供の教育にかかわるつもりでいたのに、途中でやめた後悔もあるためです。今は私の周りに、高齢者が多くいて、そのための求職サービス、老人訪問、運動指導など、色々なボランティアをしています。
北京放送のこの10年のIT関連の進歩はものすごいものがあるでしょう。私も"化石"を自認して、パソコンやインターネットはもちろん、携帯電話もいじったこともなく、かかわりたくないと思っていましたが、電波が悪く、受信状態がよくないので、ITのことを教えてくれる教室に通い、まだまだ初期段階ですが、インターネットを開くことができるようになりました。受信状態の悪いときはインターネットで放送を見ています。これからの主流は「聴く放送」より、「見る放送」になりそうです。新しい10年はどう動き、流れはどう変わっていくのでしょう。
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