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私と北京放送・原田桂子(中)
   2006-07-28 14:22:26    cri

 千葉県館山市。北京放送を聞き始めたきっかけは太極拳だ。それは20年ほど前のこと。そして、中国の雑誌「人民中国」や北京放送を通して、貧しい家庭の子供たちの就学を支援する「希望工程」を知り、貯めたお金合計500万円ほどを、中国河北省河北省豊寧県六道溝小学校に寄付。この学校の校舎の修繕やパソコン、冷暖房などの設備の購入などに当てられている。学校の生徒から日本のおばあさんとして親しまれている。

 放送、そして希望工程との出会い

 どちらかと言うと、私はラジオ派ですね。それは、仕事をしながら耳で聞くことができるラジオのほうがテレビより親しみやすかったからです。当時、20年前のラジオは、自分でダイヤルを合わせるのが主流でした。夜になると、手仕事をしたり、書道の練習をしながらラジオに耳を傾ける毎日でした。

 ダイヤルを合わせているある日、突然「こちらは北京放送」という今まで聞いたことのない放送が聞こえてきたのです。当時、北京放送の周波数がよく入り、よく聞こえ、聞いてるうちにだんだんと興味を持つようになったのです。

 その後、北京放送から送られてきた「人民中国」という雑誌に、「中国の希望工程」という記事がありました。その記事を何回か目にしました。実はその時期、この言葉は放送でも耳に入っていましたが、ラジオの弱さは一度、耳から入ってもなかなか記憶として残らず、スーッと抜けてしまうところです。じっくり雑誌を読んだ後、耳から入る「希望工程」はよく理解できました。

 ちょうどその時、私は母から、100万円という大金をもらっていました。決して裕福でない生活をしている一庶民である私どもに、当時の100万円は、大学生だった息子の残りの2年分の学費になるか、または古くなった家の改築費にあてるか、車一台を買い換えることにするかと色々と考えました。

 しかし、これはよく考えると、私が働いて得たわけでなく、ほしかったものでもなく、頂きもの、ということは"もともとなかったもの"ということで、自分や家族のためでなく、社会や福祉のために使うことが有益であると考え、最初の100万円の時は主人にも相談しないで、当時の北京放送東京支局長の張富生さんを尋ね、希望工程のためにと、お預けました。母は1995年81歳で亡くなりましたが、この母にもとうとう言いませんでした。なぜなら、きっと老人特有の「わが子かわいさであげた分を、何も全部また人のためにあげてしまうなんて……」と嘆くと思ったので、それは言えませんでした。

 しかし、両親は、一度桂林方面に旅行をしたことがあり、船で漓江(りこう)くだりをした時、もう今から20年以上前のことでしたので、"風景はすばらしかったが、川岸の家や子供たちの生活は、丁度日本の戦後の生活に似ていて、心が痛むから、もう行きたくない"という言葉を聴いたことがあったので、きっと母は喜んで納得してくれるだろうと、自分で勝手に信じています。

kokusei
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