北京
PM2.577
23/19
陝西省と内蒙古自治区の境に位置するムウス砂漠の南に生まれた石光銀さんは、小さい頃から砂嵐の被害を受けてきました。石さんの父親はその被害から逃れるために、9回も引っ越したことがあります。地元の資料によりますと、1949年以前の100年間で、陝西省楡林地区にあった14万ヘクタールの畑や牧場が砂漠化し、残りの9万6700ヘクタールの畑は砂丘に囲まれていました。1949年6月の段階では、楡林地区の森林カバー率はわずか1.8%でした。このような厳しい生態環境に生まれ育った石さんは「大きくなったらどんな困難であろうとも、一生の歳月をかけて、故郷の砂漠化環境を変えよう」と決心しました。
1984年、石さんは党中央の呼び掛けに応じて、全国で初めて農民が出資した砂漠整備会社「新興林業牧場」を作り、面積200ヘクタールの砂漠化された土地の整備を請け負いました。資金を調達するため、彼は所有していた84匹の羊などを売り出して、村民数人とともに、砂漠整備事業に取り組むようになりました。天候に恵まれたこの年、雨量は豊富で、植えられた苗はすくすくと成長していきました。喜ばしい成長ぶりを見て、石さんはやりがいを見出し、さらに、約3333ヘクタールの砂漠化した土地の整備も請け負いました。
しかし、まだ経験が不足していたため、最初の一年目と二年目の苗の成育率は30%にも満たないものでした。苦労したにもかかわらず、苗の成育率が低かった理由を突き止めようとした石さんは、林業専門家に相談しました。すると、その理由は砂漠化された土地の整備に関する方法が科学的でないことが分かりました。喬木と灌木を組み合わせて栽培すれば、それは防風林となり、砂漠整備に役立てることができます。
そして、三年目の春になると、石さんは村民を率いて、800キロ余りの砂防壁を作り、その結果、苗の成育率は9割になりました。現在、ムウス砂漠にはしっかりとした砂防壁が建造されています。30数年をかけて、石さんは1万6667ヘクタールの砂漠化した土地を整備し、5300本の木を植え、植樹造林面積は2万3333ヘクタールに達しました。その環境の改善に伴い、故郷も大きく変貌しました。
2000年以降になると、石さんは当時植えた灌木の寿命が短い、経済的価値が高くない、鑑賞性も低い、極めて粗放的な造林であるため、生態効果と経済的効果がいずれも際立ったものではないことを認識するようになりました。そこで、石さんは長年かけて、絶えず栽培品種を改善し、今ではヨーロッパアカマツをはじめとする優良樹木を100万本以上植えるまでになりました。彼は「会社+農家+拠点」という形で砂漠整備と貧困脱却活動を結びつけ、地元で、牛養殖牧場や飼料加工工場、ヨーロッパアカマツ苗木栽培拠点、優良品質の唐辛子栽培拠点、ジャガイモ栽培拠点など、数十項目の経済実態を作り出しました。現在、約1000世帯の農家がその恩恵を受けるようになっています。
今、石さんは積み重ねてきた植樹造林の経験を熱心に自身の孫に教えています。今年25歳になった孫の石健陽さんは高校卒業後、林業技術を学び、三代目の砂漠整備士として成長しています。今後は生態整備だけではなく、林業によって経済発展を促進することが石健陽さんの目標です。