北京
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呉天一さんは1937年新疆イリのタジク族の知識人の家に生まれました。彼の父親は息子が将来どんなことをしても、天下一の迫力があるようにという願いを込めて、「呉天一」と名付けました。1951年、呉さんは優秀な成績で中国医科大学に合格し、6年間の勉強を経て、奥様とともに、中国人民志願軍について、朝鮮ピョンヤンの病院につとめました。1958年、西北部の建設を支援するという党中央の呼びかけに応じて、夫妻で生活条件のとても厳しい青海に来ました。その後、60年余りの歳月を、呉さんはずっと青海高原にいて高山病の研究に費やしてきました。
呉さんは青海省心・脳血管専科病院の元研究員で、中国エンジニアリング・アカデミー会員でもあり、中国高山病医学研究の開拓者でもあります。彼は高山病の予防と治療に関する国際基準を作り出し、「チベット族適応生理学」の研究を切り開き、数万人以上のチベット族の命を助けました。
呉さんはもともと英語やロシア語に精通していましたが、チベット族が高原の低酸素環境に適応する生理的特徴という課題を研究するために、交流の際、現地の人々との言葉の壁を取り除けるよう、新たにチベット語を学びました。長年の研究を積み重ねてきた結果、彼はチベット族が高原環境に適応する生理的な謎を解き明かしました。それは、チベット族の酸素利用システムが他の民族よりずっと効率的だということでした。
2001年6月から青海・チベット鉄道建設の第二期工事が始まりました。今回建造した鉄道の総延長は1118キロで、タンラ山脈や崑崙山(こんろんさん)、可可西里(ココシリ)山などを通りかかります。工事の80%は標高4000メートル以上のところで行われ、最も高い地点は標高5072メートルのところになりました。そのため、気候条件はとても厳しいものでした。なぜなら、標高が高くなると、寒くなるうえ、酸素の含有量も希薄になるからです。
青海・チベット鉄道建設第一期工事の医学顧問および第二期工事の高山病研究チームのリーダーとして、呉さんは20万人の建設者を自分の兄弟のように大切にし、また、彼らの健康を必ずや守ろうと決意しました。そして、呉さんは青海チベット高原の実際の状況に基づいて、一連の高山病予防措置と救急方案を制定したほか、高山病の自己判断方法を広めるために健康講座や学習班を開いたり、「科学マニュアル」を書いたりして、一人一人の建設者に手渡しました。また、医療チームを率いて、標高の高い建設現場に足を延ばし、高山病の治療を指導したり、環境適応に非常に良いチベット薬であるイワベンケイ(紅景天)を飲ませたりして、良好な治療効果を収めました。その結果、鉄道建設者の中には高山病で亡くなる人が一人も出ませんでした。この奇跡によって、彼は「青海・チベット鉄道建設者の命を守る神様」と呼ばれるようになりました。