北京
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崔道植は黒竜江省公安庁の元刑事で、七一勲章を受勲した感想について、「とても光栄だ。この栄誉によって、私は今後とも党員とする初心を忘れず、党員とする使命を立派に履行することに励んでいくだろう」と語りました。
崔さんは朝鮮族で、1934年吉林梅河口に生まれ、4歳の時に父親が、6歳の時に母親が亡くなり、孤児になりました。小学校から中学校までの学費は全すべて政府からの援助金に頼ってきました。1949年、15歳の崔さんは児童団の団長となり、その後、彼は必ずや軍人になろうと決心しました。17歳の時に、崔さんは中国人民志願軍に入り、朝鮮戦争に参加。そして、2年後には望み通り中国共産党に加入しました。その後は中国の銃弾跡識別システムの完備に力を尽くしてきました。
1995年、中国で銃器に関する案件が急速に増え、公安部は「銃弾跡自動識別システム」の開発を大きな課題として取り組んでいました。当時、62歳の崔さんは定年退職の年齢になりましたが、国の銃弾跡識別の現代化管理技術の研究に寄与したいと考えて、この仕事をやり続けています。1997年、崔さんは公安部が主催した国際刑事探偵機器展示会に参加し、カナダやアメリカの銃弾跡自動識別システムを見学しました。しかし、この展示会に参加してから、崔さんはとても焦るようになりました。なぜなら、彼は一生を尽くして銃弾跡を研究してきましたが、中国が自主的に開発した銃弾跡の自動識別システムは完全に整備されていなかったからです。それ以降、崔さんはどんな困難があろうとも、中国独自の銃弾跡自動識別システムを整備することを決意しました。それからというもの、彼は相次いで7校の大学や三つの精密機器研究所を訪れて、4枚からなる模型図を設計し、その模型を作り出すために合わせて4ヵ所の機械加工工場まで、足を延ばしました。5年余りの研究を積み重ねてきた結果、崔さんは特製のアルミホイルフィルムで銃弾の跡を複製する技術を発明しました。彼の発明で複製される銃弾の跡はとても鮮明であるうえ、非常に安定しています。また、彼は「弾頭ライフリング跡の自動識別システム」を研究開発し、その知的所有権も獲得しました。
今年87歳の崔さんの考えには、定年退職という概念は存在していません。彼にとって、仕事や難題を乗り越えることは趣味です。現在、彼は若手刑事の参考書を作るために、今まで行ってきた刑事事件の典型的な案件や資料を整理、編集して、一冊の本にまとめて出版する準備をしています。