北京
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1920年1月、陸元九さんは安徽省来安県に生まれました。彼は中国初代の航空技術専攻の大学生として、系統的に航空宇宙工学の必修科目を学んだほか、空気力学、飛行機の構造設計などの科目を独学で学び、今後の勉強に向けた確かな基礎を固めました。1940年代、彼は国費留学試験に合格し、米国のマサチューセッツ工科大学に留学しました。そこで、彼は計器学という専攻を選び、「慣性航法の父」と呼ばれているチャールズ・スターク・ドレイパー教授の学生となりました。「慣性航法」という専攻はあまりにも知られていない専門技術である上、大量の新しい知識を学ぶ必要があり、さらに卒業論文を書き上げる前には、多くの試験を受けなければなりません。そのため、この専攻を選ぶ外国人留学生はほとんどいませんでした。ところが、陸さんはこの専攻を選んだだけではなく、猛勉強の結果、首席の結果を挙げました。また、彼はこの専攻唯一の博士となりました。
1949年、彼は博士号を取得すると同時に、マサチューセッツ工科大学の副研究員、研究エンジニアとして招聘されました。ところが、この年、新中国が成立しました。これは彼にとって、何よりも嬉しいことです。中国人であるため、必ずや祖国である中国に戻って、中国のために力を尽くしたいと決心しました。そして、1955年、彼は帰国手続きを終えて、1956年6月に妻子を連れて、久々に祖国に戻ってきました。帰国当初、彼は中国科学アカデミー自動研究所の創設に参与し、そこで、研究員、研究室主任、副所長などを歴任しました。また、1958年に初めて「衛星回収」という概念を提出し、中国の「両弾一星」プロジェクトおよび宇宙開発プロジェクトの成功に卓越した貢献をしました。
「科学イノベーションは終点のないロングラン」と言われます。陸さんは研究の第一線から離れても、難しい質問にぶつかって、彼の家を訪れる若手研究員に対して、いつも熱心に回答し、問題解決にサポートを惜しみませんでした。彼が言うように、航空宇宙技術はとても先端的な研究分野で、研究員にとって、一生学ばなければならないことなのです。
今年101歳の陸さんは七一勲章の受勲者の中では最年長者です。今回の受勲も、科学技術で国を振興させる彼の生涯における崇高な志への最高の贈り物でもあります。