北京
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今年76歳の劉貴今大使は40年近くの年月を対アフリカ外交へと捧げてきました。彼は17年間、アフリカに駐在し、中国とアフリカの間に友好の架け橋をかけた人物の一人です。これまで、中国・アフリカ協力フォーラムが順調に進められるように、三日間徹夜したこともありました。現在は定年退職の年齢を優に超えていますが、中国外交のために、再び中国政府アフリカ実務特別代表を務めるようになりました。
1981年、劉貴今大使の海外駐在の初任先はケニアでした。実はこの時、アフリカ大陸は彼にとって、なじみのない場所ではなかったのです。なぜなら、それまでの9年間、彼の仕事は外交部と在アフリカ各国の中国大使館の間で外交郵便物を運ぶことだったからです。1970年代のアフリカは条件がとても厳しく、通信手段もとても遅れていたため、多くの外交官の私的な手紙も、外交郵便物をルートとして運んでいました。劉大使は「飛行機がいくら遅くなっても、大使館の同僚たちは私を待ってくれた。そのうち、とくに印象に残っているのは子供の大学合格を知らせる手紙を受けた同僚が、あまりにも喜んで、私にごちそうしてくれたことだ」と話しています。
ケニアに駐在した5年間、劉大使が休暇を取って帰省したのはたった1度だけでした。当時、わずか三歳の息子と離れ離れになって、赴任を終えて帰国したとき、息子はすでに小学校二年生になっていました。このような家族離別は劉大使のような外交官らがよく経験するものでした。
2002年、南アフリカ共和国初の黒人大統領・マンデラ氏は米国のイラクへの侵略をともに阻止するために、中国の指導者と電話会談をしたいという意向を示しました。そして、この意向に従い、劉大使の斡旋の下、双方の指導者は順調に電話会談を行うことができたのです。会談後、マンデラ氏はとても喜び、劉大使と雑談をしました。その際、マンデラ氏は「中国革命の勝利は圧迫された民族の闘争にとって大きな励ましだ」と語りました。今になっても、劉大使はその友情を忘れていません。
2000年10月、アフリカ国家の指導者が北京に集い、第1回中国・アフリカ協力フォーラム(FOCAC)が開かれ、中国とアフリカ関係の新たな一ページが切り開かれました。フォーラムの開催は劉大使の心血を注いだ結果です。中国とアフリカとの友情は長い間、双方に根付いたもので、中国・アフリカ協力フォーラムの創設もアフリカ国家の長年の願いでした。
当時、外交部アフリカ局の局長だった劉大使は、このフォーラム創設の準備活動に取り組んでいました。劉大使の話によりますと、フォーラムをただの話し合いの場で終わらせないようにするのが、一番の難関だったということです。その後、劉大使は関係責任者と何度も検討を重ね、アフリカの対中債務の減免や人力資源協力基金の設置、アフリカに対する一層の市場開放などの最終案を打ち出しました。この案は中央政府からも認められる内容でした。
この40年の間に、劉貴今大使はアフリカ大陸のほとんどを歩き回りました。彼にとって、外交は光栄かつ困難な仕事であると同時に、才能を十分に発揮できる大きな舞台でもあります。劉大使が言った通り、この仕事に携わるには、博識を必要とすると同時に、厳しい規則を遵守することで、最も重要なのは国のために奉仕する心を持つことなのです。