毛沢東路線確立の第一歩となった歴史的な会議「遵義会議」

2021-04-09 14:07  CRI

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 遵義会議(じゅんぎかいぎ)は、1935年1月15日から17日までの3日間、貴州省遵義県、今の遵義市で開催された中国共産党中央政治局の拡大会議です。

 江西省・湖南省・福建省を中心に打ち立てられた革命根拠地では、土地革命が進み、土地を得た農民の生産意欲が高まりました。江西省・福建省の境界の一帯には瑞金を首都とする中華ソビエト共和国が成立しましたが、こうした革命の進展を蒋介石が手をこまねいて見ているはずはありませんでした。大軍をさしむけ、生まれたばかりの共和国を「包囲討伐」しようとしました。強大な敵の侵攻を前に党中央は左翼冒険主義の誤りを犯し、1933年10月に始まった5回目の「包囲討伐」によって根拠地は窮地に陥りました。紅軍第一方面軍(中央紅軍)は翌年1934年10月、やむなく江西・福建の根拠地を後にして、戦略的な大移動を始めました。これが「長征」です。この長征途上の貴州省・遵義で、中国革命はターニングポイントを迎えることとなります。

 強大な敵を真っ向から迎え撃つ戦いで多くの将兵を失い、活路を「退却」に求めた党中央の決定を、歯ぎしりする思いで見つめていたのが毛沢東でした。党中央を牛耳っていたのは、総書記の秦邦憲とコミンテルンから派遣された軍事顧問のオットー・ブラウン。秦邦憲はソ連留学帰りで、戦略といっても、ロシア革命成功の図式しか頭にありませんでした。毛沢東は長征の行路を、敵の守りが弱い貴州省北部に向けるよう党中央を説得し、党中央はこの方針を受け入れました。この時点で、労農紅軍は将兵の半分以上を失い、兵力は4万弱に激減していました。そして、紅軍は貴州省北部最大の都市、遵義を攻略し、ここで党中央政治局拡大会議が召集されました。

 会議では秦邦憲らが指導する党中央の政策が批判され、最も緊急な軍事問題と中央書記処、中央革命軍事委員会の組織問題が決議されました。軍事問題では、劣勢であるにもかかわらず戦争を根拠地の外で行おうとした冒険主義、陣地戦を重視して、ゲリラ戦を展開しなかったこと、さらに長征の意義や目標を明示せず、逃亡主義に陥ったことが批判されました。組織問題では秦邦憲に代わって、張聞天が中央書記処総書記に,軍事委員会では毛沢東が実質上の主席に、周恩来が主席代理となりました。この会議以降、共産党指導部における毛沢東の指導権が確立し、紅軍は陝西省北部に到着して新たな根拠地を築くことになります。

 遵義会議は中国共産党における毛沢東路線確立の第一歩となった歴史的な会議です。毛沢東の中国の実情に根ざし、実践から教訓を汲み取って堅忍不抜の状況を固めるという軍事思想が遵義会議以降、紅軍の将兵に広く深く浸透することになりました。

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