1917年11月15日、ポープリゲ市Busseboom村にある軍事拠点がドイツ軍に爆撃され、イギリス軍を支援していた中国人13人が死亡したとのことです。
文献によりますと、第一次世界大戦後半の1916年から1918年にかけて、深刻な労働力不足に対応するため、英仏両軍が中国から約14万人の労働者を集め、最前線に派遣しました。このうち1万2000人がフランスとベルギーの国境に近いイーペルとポープリゲに派遣されています。山東省、河北省、浙江省出身の人が多く、連日10時間から18時間にわたって、兵器の運搬や工事現場、道路の清掃、けが人の救助といった、危険性を伴う重労働に携わっていました。休みは春節、端午の節句、中秋節の3日間だけでした。戦争が終わっても、帰国できずに戦場の後始末や死者の埋葬、荒れた土地の開墾にあたる人もいました。戦火や厳しい生活条件、病気などのため、約2万人がこの地で亡くなったとのことです。(玉華、森)
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