【空海が最初に降り立った中国の地・福建省赤岸村〜空海大師記念堂〜】

2020-11-02 18:15  CRI

 ●空海入唐の地・赤岸村

 今から1200年以上前、真言宗の開祖・空海は遣唐使として日本から中国に渡った。804年に難波を出航した空海一行は荒波の中を34日間漂流し、やっとのことで到着した中国の地が福建省赤岸村だった。

 1981年、ハルビン師範大学の游寿副教授は平安時代初期に編纂された勅撰史書『日本後紀』の記述から、空海が最初に到着したのは福建省寧徳市霞浦県赤岸村だったとする研究結果を発表した。これをきっかけにして、赤岸村は「空海入唐の地」であることが世に知られるようになった。

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「空海入唐之地」の記念碑

 現在、空海到着の地はあたり一帯に畑が広がり、当時の様子を垣間見ることはできないが、石碑が建てられ、確かに空海がそこにいたことを物語っている。

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空海漂着記念碑

 赤岸村から空海は長安を目指すことになったが、突如、漂着した遣唐使一団に上陸許可がすぐに下りることはなかった。日本から出発した4隻のうち、2隻が遭難し、遭難した船に使節であることを証明する国書や印付が積まれていた。そのため、上陸することができず、許可の認可まで船の中で約二ヶ月を過ごすことになる。この間、赤岸村の住民たちは空海らに食料などを提供していたとされ、交流があったことが伝えられている。

 当初、上陸許可の嘆願書は思うように受理されなかった。赤岸村に到着してから数日後、新任の長官・閻済美が着任した。遣唐大使の藤原葛野麻呂が書いた文章は自分たちの思いがなかなか伝わらず、何度も書いたものの閻済美の疑念を晴らすことはできなかった。そこで代筆を担当したのが空海だった。閻済美は文学の造詣に深い人物であったため、空海の文章を一目見て、その教養の高さ、文章力に驚き、長安に使いを出して遣唐使一段の上陸を許可するように手配した。空海の一筆があったからこそ、遣唐使の大業を果たせたと言っても過言ではない。

 ●1000年以上の時を超えて始まる訪中団交流

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記念堂内に展示されている訪中団のタペストリー

 漂着から始まった赤岸村と空海の縁は中国と日本の双方の尽力により今も途切れることはない。

 上述したハルビン師範大学の游寿副教授による1981年の研究結果は、中国の歴史学界、仏教界、日本の高野山など各方面から注目された。1983年6月、日本の高野山真言宗の宗務総長・阿部野竜正氏が北京を訪れ、中国仏教協会の趙朴初会長と面会した。その際に阿部野宗務総長は、「私たちの宗主は1200年前、現在の福建省霞浦で救助されたことがある。私たちの信者たちはそこで恩返しをしたいと思っている」と語った。

 そして、翌年1984年、「空海・長安への道」というテーマの下に日本側から訪問団が福建省を訪れた。当時の訪中団団長を務めた静慈圓氏は、「赤岸」の二文字を見つけて涙を流した。「1000年以上前、私たちの宗主がここで遭難して救助されたことで、密教が日本に伝承された。1000年以上経った後、ここで私たちは温かいもてなしを受けた。『赤岸』という文字は永遠に私たちの心に刻まれるだろう」と話した。これ以降、現在までに日本から200組以上の訪問団6000人以上が赤岸村を訪れている。

 ●中日交流の場「空海大師記念堂」の建設

 1993年4月、福建省霞浦県人民政府は日本の高野山真言宗総本山金剛峰寺と中日両国が共同で空海大師記念堂を建設する協定書を締結した。これは高野山真言宗総本山宗務総長の新居祐政氏が中日文化交流の場、参拝する場として記念堂の建設を提案したことにより実現した。建設費用は中国側と日本側のそれぞれで負担し、1993年5月に着工、翌94年5月に竣工した。

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空海大師記念堂

 空海大師記念堂の内部には空海によってもたらされた中日友好の証が展示されている。入ると正面には空海の立像があり、目の前に置かれた仏具は全て日本側が提供したものだ。また、境内には友好の歴史を物語る数多くの石碑が建立されている。

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記念堂内にある空海立像

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仏具は全て日本側からの寄贈

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これまでの中日交流を示す展示品

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境内に建立された石碑

 ●友好的な文化の使者・空海

 記念堂は霞浦県を中心に空海研究を行なっている「寧徳市霞浦空海研究会」が管理している。会長の陳永遷さんは空海について、「霞浦の人々は1200年前と同じように友好的な存在であり、1つの善良で友好的な文化の使者だと考えている」と話す。それを象徴するように現在でも地域住民は真言宗の信者ではないものの、敷地内に建立された空海像に線香を手向け、祈りを捧げている。また、空海に端を発する中日友好について、陳会長は、「中国と日本は文化が同源だ。私たちの肌の色、生活習慣、文化、宗教信仰は基本的に共通している。私たちは中日両国の人たちが代々友好的で、多くの交流が持続的で健全に発展していくことを望んでいる」と語った。

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福建省寧徳市霞浦空海研究会の陳永遷会長

  今後の研究会の使命について、陳会長は、「霞浦県の人々は1200年前に空海を救助し、長安へ無事に到着させた。道中の中国人はとても友好的だった。私たちはこの精神を代々伝えていかなければならない。そして、相互交流、宗教伝承、信仰研究を通じて、両国が相手の文化背景をよりよく理解し、友好の絆がより固くなるようにしていきたい」と話した。

 偶然漂着した赤岸村と日本が結びついた縁は、空海という友好文化使者が訪れてから1200年以上経った今でも大切にされている。1985年に日本側は空海の故郷の花崗岩が用いた石像を寄贈した。35年が経った今でも地域住民は記念堂の敷地内にあるこの石像の前で線香を手向け、世界平和への祈りを捧げている。

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1985年に日本から寄贈された空海の石像

(文・写真 日本人記者:星和明)

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