北京
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秋の東北地域、長白山の麓、吉林省白山市靖宇県大北山村。整然と並ぶ霊芝栽培ハウスの中では、人々が霊芝胞子粉の採取で忙しくしています。採取した胞子粉を陰干し破壁してから包装していきます。この霊芝胞子粉こそが、村民らが豊かさを手に入れた秘訣なのです。
古来幻のキノコとして珍重されてきた霊芝は、別名マンネンダケと呼ばれることもあります。古くから中国や日本で生薬として用いられてきました。ここ大北山村の霊芝栽培の名人と言えば、みんな口を揃えて高秀虎さんの名前を挙げて、英雄だと称えています。それは高さんが村民らを率いて、霊芝栽培を始めたことをきっかけに、みんなが貧しい生活から抜け出したからです。
しかし、英雄と呼ばれる高さんは、並々ならぬ辛い経験をしてきました。十数年前、2回も交通事故に逢い、左足が不自由になった高さん。仕事を失い、治療や手術のため21万元の借金を抱えながら、貧困のどん底に陥りました。
その時、村から生活補助支給の話がありましたが、高さんは自らそれを断りました。足が不自由でも、意地を失ってはならないという思いで、家族で売店を開いたり、鶏を飼ったり、穀物栽培を行ったりして、生きるために懸命に働いてきました。
大北山村は寒いエリアに位置するため、あまり穀物は取れません。しかしある時、高さんは偶然に霊芝栽培に触れる機会がありました。そこで地元の土地がその栽培に適していることを知ると、早速霊芝栽培に取り組み始めたのです。
村や各方面からの資金援助の下、2012年に村の土地を借りて、霊芝栽培を本格的に始めることになりました。その間、貧困対策を支援する様々な政策が出されたこともあり、最初の年に2万元の純収入を得ることができました。自信がついた高さんはさらに栽培面積を拡大し、わずか数年間で貧しい生活から抜け出すことに成功したのです。
その後、高さんは協同組合である合作社を設立し、村人達を率いて、事業を拡大しつづけてきました。2020年には、霊芝栽培だけで400万元を売り上げるまでになりました。そして、体が不自由な高さんは身障者支援センターを設けて、支援活動に取り組んでいます。
霊芝のほかに、高さんはきくらげなどの栽培技術もマスターしています。そして、研修会を開催して、無料で栽培技術も教えており、これまで研修会に参加した人は1000人を超えています。みんなと一緒に貧しい日々から抜け出し、小康の暮らしを手に入れるのが最大の願いだと高さんはいいます。(閣、CK)