北京
PM2.577
23/19
中国と日本が平和友好条約を締結して今年で42年となる。「共同声明でつり橋ができた。これ(条約調印)で鉄の橋になった」と当時の福田赳夫首相は言った。たしかに、この鉄のかけ橋を通じて、40数年の間に、中日両国の貿易額は約10億ドルから3000億ドル以上に増加した。経済的な相互依存は、いまや両国を不可分に結び付けているといっていい。しかし、両国の友好や信頼が同じように深まったといえるだろうか。残念ながら、そうとは言えない現状にある。
中日関係を支えるのは、両国政府だけではなく、一人ひとりの国民の意識だ。最近の世論調査を見ると、中国人の対日感情は好転しているが、日本人の対中感情の改善は鈍い。中日平和友好条約が発効した42年前に比べ、中国の経済力は飛躍的に増大した。かつて日本は中国に経済支援、技術支援をする立場だった。ところが、いまや中国が国内総生産(GDP)では日本をはるかに上回り、米国に次ぐ世界第2の経済大国となった。中国が国力をつけるに従って、中日関係や国民感情は複雑化していった。
それに加えて、歴史問題に対する認識も大きな原因と考えられる。戦後の日本の平和教育にしても、ここ数年発表された原爆の惨禍についての社説にしても、いつも被害者の立場から戦争を考える習性から抜け出せていないことを残念に思う。日本国民の多くは恐らく自分たちは戦争の被害者だと思っているだろう。ところが、国家という観点では、日本はアジア諸国などに対する加害者だった。政治的指導者がそのことを直視しないことは問題である。過去を直視することは、決して後ろ向きではなく、過去の問題を克服することを通じて、未来を生きる力になると思う。
42年前の平和友好条約では「恒久的な平和友好関係を発展させる」ということを確認し合った。中日両国が向かうべき方向と精神はいまも平和友好条約の中にある。その原点に立ち返り、中日平和友好条約締結に対する歴史評価や、中日関係が世界や地域の平和にどれだけの意味を持つかについて、戦後生まれの我々が理解する必要がある。(日本語部論説員)