<![CDATA[北国の春、中国の大ヒットになる~音楽家・呂遠さんに聞く(上)]]>[!--begin:htmlVideoCode--]5111016bc0074d548f700feee9797454,2,1,,news[!--end:htmlVideoCode--]

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 聞き手:王小燕

 「音楽の秋」企画の続きです。中国の国民的な作詞・作曲家で、中日友好と世界平和をライフワークに活動を続けて来た呂遠さんにお話を伺います。

 呂遠さんは1929年に遼寧省安東(今の丹東)に生まれ、日本支配下の偽満州国時代で少年時代を過ごしました。1946年に解放区宣伝隊の公演活動に参加、1948年に遼寧省で林業および鉱業関連の文芸創作の仕事に携わっていました。

 新中国成立の後、長春東北大学で音楽を専攻。1954年に北京に転職し、1963年から2000年まで、海政歌舞団の芸術指導に就任。中国文聨全国委員、中国音楽家協会創作委員会顧問。

 これまでに歌1000曲あまり、オペラ、ミュージカル9作品、舞曲や管弦曲20作品あまり、映画とテレビドラマの挿入歌50作品余りの作曲を手がけたほか、作詞した歌も数百曲に達しています。

 日本の演歌「北国の春」は呂遠さんの翻訳により中国で紹介され、現在も歌われ続けています。呂遠さんはまた、10回にわたって、中日友好と世界平和を願う「長城の春」大型コンサートの企画を行ってきました。

 「CRIインタビュー」は、こんな呂遠さんに2回にわたってお話を伺っていきます。 今回は「北国の春」が中国に紹介される前後の話や、喜納昌吉、三波春夫など日本の音楽関係者、両国友好を願う各界の人々と交流した時のエピソードを披露していただきます。

 ところで、「北国の春」の作曲者は日本の国民的な作曲家・遠藤実氏です。呂遠さんは、あるテレビ番組の収録がきっかけで、遠藤氏と日本で対面したことがありますが、その時、「北国の春」が中国で大ヒットしているということに対して、遠藤氏は「特別な表情を示すこともなく、ただ、礼儀正しく挨拶を交わしただけ」の反応でした。不可解に思っていた呂遠さん。後に、そのわけを知人から初めて聞き、今でも、このエピソードを話しますと、心の中で申し訳ない気持ちを覚えているといいます。一体、何が起きたのでしょうか。詳しくは番組をお聞きください。

 

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     〒152-8691 東京都目黒郵便局私書箱78号 中国国際放送局東京支局までにお願いいたします。皆さんからのメールやお便りをお待ちしております。

■お便り抜粋

(愛知県・ゲンさん)有名な呂遠さんのインタビュー、楽しく聴きました。長生きしてくださっているおかげで貴重なお話を聴くことが出来ました。「北国の春」を例にした「著作権」の考え方も、なるほどそうだったのかと、はじめて理解出来ました。お互いの国が、相手側の国の習慣や考え方に立たないで、どこの国も自分の国と同じように考えているはずだと思うことが、どんなに危ういことかというサンプルのように思いました。だから、この話を逆手にとって、楽しく広めていけば、理解が深まるような気がしました。呂遠さんの誠実なお話しぶりに、憎めない温かさを感じたものですから。次回を楽しみにしています。

 

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