北京
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40年前の1978年11月、安徽省鳳陽県小崗村で、18世帯の村民が契約書に拇印を押しました。村や組などの公の農地や生産業務などを世帯に請け負わせる契約書で、従来の制度とは異なるものです。文化大革命が終わって初めてとなる、極めて大胆で命をかけた「生死の契約書」とも言えるものでした。
この背景に、村人たちの惨めな暮らしぶりがあげられます。69歳になる厳宏昌さんは1970年代、生産隊の副隊長を務めていましたが、年に3ヵ月は食べ物のない期間があり、家族とともに村を出て物乞いをしていたのです。
改革開放が始まったことを受け、小崗村は集団で土地を耕すという従来のやり方を廃止し、この契約書に基づいて土地を各農家に割り当て、各自責任を持って生産業務に携わる形を選びました。それ以来、村人たちは農作業に真剣に取り組み、飢えに苦しむ生活に別れを告げました。
4年後の1982年、政府は年始に通達文書を発してこの農地の農家請負制を認め、制度を全国に広めました。そして、8億人を超える農家が俄然やる気を出し、全力で仕事に取り組むようになりました。全国の食糧生産高が年々上昇し、食料不足は大いに緩和されました。このため、小崗村の契約書は「土地の農家請負制度」の第1号と称されています。
ところが、制度を導入して20年あまり経った2000年ごろ、小崗村は新たな問題を抱えます。全国的に生活レベルが向上したにもかかわらず、村の暮らしは依然として最低限の水準にとどまり、裕福な暮らしとは程遠いものでした。こうした世帯単位による生産では集約型の生産に順応できなくなり、もはや時代遅れになったと気づいたのです。新たな岐路に立たされましたが、農家は権益を失うのではないかと不安で、消極的でした。そして2013年、政府は年始の通達文書を発し、農家の利益を確保するために土地所有権の確認や登録を始めると伝えました。小崗村は率先して着手し、2年後の2015年に土地の請負経営権に関する証明を発行して、受託した土地を安心して新たな形で使うことができるようになりました。厳さんは農地のすべてを大規模経営農家や企業に賃貸し、かわりに息子たちとともに民宿の経営を始めました。所得はみるみるうちに増え、暮らしもゆとりが生まれました。村の1000ヘクタールの耕地のうち6割以上がこのように賃貸され、農業の現代化が進みました。現在、共同出資や委託融資などといった経営モデルの模索に取り組んでいます。去年は現代化農業における中国のリーディングカンパニーである黒竜江北大荒農懇グループと業務提携を結ぶなど、農業の現代化への取り組みを進めています。(朱 森)