北京
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ロシアのウラジオストク郊外にある児童受け入れ施設「オケアーン」(ロシア語で「大海」の意)。まるで真っ白なヨットのように海に面して、世界各地から子供を迎えています。
10年前、四川大地震で被災した子供たちが一時ここで暮らしていました。そして今、大人となった彼らが、この愛に満ちた家に再び戻ってきたのです。
その物語は、中露間の深い友情で、山や海を越えた人間の愛を表すものです。
「オケアーン」の食堂に入ると、ここで過ごした中国の子供たちの写真が目に止まります。
2013年3月に習近平国家主席がロシアを訪問し、モスクワ国際関係学院の講堂で「オケアーン」について触れました。四川大地震の発生後、ロシアは真っ先に中国に支援の手を差し伸べ、被災地の子供を極東などで引き取ることになりました。
当時のメドベージェフ大統領の招待を受け、四川大地震の被災地の子供たち1500人が、2008年と2009年の2回に分けてロシアに渡り、そのうちの半分が「オケアーン」で生活を始めました。
中露首脳がともに思いやり、そして行動をとったことにより、「オケアーン」は両国の友情を語るものとなり、また子供たちのいい思い出になりました。
当時の写真を見せる薛雪さん。(9月1日撮影)
「毎日が新鮮で、希望が一杯で、なんだが白い茶碗に入ったボルシチみたいだった」。今年23歳になった薛雪さんは、当時授業で作った写真立てを今でも持っています。「初めての水泳、初めてのスキー、初めてロシア語の歌を歌う…毎日充実していて面白くて、いつもかわいがられて、とても安心で幸せだった」と語りました。
青川県から来た尹泓燕さんは、地震で祖母を失い涙にくれていました。そんな彼女を元気づけるため、補助員が毎日散歩に付き添い、自分の貝殻のネックレスを彼女の首につけてあげました。
「オケアーン」の愛を浴びた中国の子供たちは、次第に暗い過去から抜け出し、元気を取り戻しました。
この10年間、子供たちは中露双方に見守られてすくすくと育ち、輝く人生を歩んでいます。
24歳の董璐さんは、大学を卒業して小学校の外国語教師になりました。かつて「オケアーン」で子供ながら通訳を務めた彼女は、より強い責任感を備え、子供たちが言葉を通じて世界を見渡し、中国と諸外国の友好の懸け橋となって欲しいと願っています。
徳陽出身の24歳の肖宇さんは現在、新聞記者になり、公益事業やボランティアに大変熱心です。記者になって世界の出来事を刻み、ボランティアとなって人助けをするという人生の夢も、当時の補助員であるマサさんの影響によるものでした。そして「努力して今、夢が実現した」と語っています。
「オケアーン」の愛は、とこしえに続く中露両国の友情を象徴するもので、積み重ねた文化交流の縮図でもあります。
両国首脳の導きや率先した行動は、文化交流を促進し、のちの世代の友好に強い力を注ぎました。ユーラシア大陸で1、2番目に広い両国は、隣国として肩を並べて風雨を乗り越え、同じ夢を心に秘めて、未来へ向かっていきます。